クロッカスは風に揺れる




飛行機の墜落、クルーザーの沈没、スタンド船からの脱出と人生でそうそう起きないであろう体験が続き、僕らはシンガポールでやっと一息をついた。もちろん、いつDIOからの刺客が襲ってくるとも限らないので警戒は怠らずのままだ。現に昨日、ホテルに到着早々ポルナレフが『悪魔』の暗示のスタンド使いに襲われていた……なんて考えていたら、まさにポルナレフ本人がこちらに歩いて来るところだった。ホテルのロビーでぼんやりと立っていたからか、暇だと思われたんだろう。ポルナレフはいつも浮かべるやや軽薄そうな笑顔を浮かべていた。

「なぁ花京院、日本人ってのはヨソヨソしいもんなのか?」

近寄るなりの唐突な質問に、僕は理解が追い付かず不思議そうな顔をしていただろう。それを見た質問者、ポルナレフはおそらく僕よりも不思議そうな顔をして口を開いた。

「お前ら、のことご丁寧に名字で呼んでるだろ?さん、ってよ。それがヨソヨソしいっつーか、フツー同い年の女の子なら名前で呼ばない?」

お前ら、に該当するのは僕と承太郎だろう。言われてみればポルナレフはもちろん、ジョースターさんもアブドゥルさんも彼女を名前で呼び、僕と承太郎は彼女を名字で呼んでいる。フランス人のポルナレフからすれば不思議なんだろう。ヨソヨソしい、と言われれば確かにそうかもしれない。

「フランス人ほどフランクじゃあないのさ」

簡潔に答えると、ポルナレフはうーんと唸って首を傾げた。フランス人と日本人の同年代異性への接し方の違いをきちんと説明するのは難しい。僕からしても曖昧で説明のつかない部分が多いのだから。

「……でもよー、折角だしもちっとフランクになればいいんじゃねーの?これからエジプトまで一緒に旅する『仲間』なんだしよ!」

仲間、という単語に、胸に熱が生まれた気がした。
僅かに生まれた動揺にポルナレフは気付かないのか、今度はニヤニヤと笑いだす。

「それに……『仲良く』したいだろォー?」

言葉に隠された少々下品、と言うよりは俗っぽい意味も理解した。けれどそれを否定するのも肯定するのも戸惑われて、僕は曖昧な表情を浮かべてポルナレフを見る。僕が何も言わないから、色々想像を巡らせているのだろう。腹が立ちそうになるが、こういったポルナレフの気安さには救われている部分もあるし、どう言葉を返そうかと悩むこの時間もなんだか新鮮で、楽しいと思う自分がいるのも確かだ。しかし、からかわれっぱなしなのはどうにも癪だ。
……変わらないニヤニヤとした顔に肘をお見舞いしてやりたい。
そう思いかけたころ、ポルナレフが視線を僕から外し、表情をガラリと変えて手を振りだす。

「おーい!ちょっとこっち来てくれよ!」

ポルナレフが呼んだのは、たった今話題にしていた彼女の名前だ。どうやら客室階へ続く階段を今しがた降りてきたようだ。噂をすれば影と言うが、そんな心構えをしているはずもなく、僕の心臓はドキリと鳴った。ポルナレフがおかしなことを言ったからだ。

「どうしたの?ポルナレフ。花京院くんも」
「……そういやお前もだよなァ」
「? なにが?」

近寄ってきた彼女に、ポルナレフは先程まで僕と話していた『日本人はヨソヨソしいのか』というくだりを説明しだす。その表情に、僕に見せたような揶揄する色はない。

「うーん、でも日本だとこれが普通……よね?」

おそらくポルナレフに問われた僕と同じような表情を浮かべた彼女が僕に意見を求めてきたので、それに静かに頷いた。

「あんまり初対面で名前を呼び捨てにはしないよ」
「でもよ、『さん』『花京院くん』はちと他人行儀じゃねーの?」

仲間なんだしよ、とポルナレフは僕に言ったのと同じ言葉を繰り返し、彼女を見る。どう返していいのかわからないような、困った風に笑っている。

「……ま! お国柄ってのはどこにでもあるモンだよな〜〜」

彼女の苦笑を見て、ポルナレフは肩をすくめパッと空気を変えた。相変わらずの軽薄と形容したくなる笑みを浮かべて彼女の肩をぽんぽんと叩いている。そうして何度か頷くような仕草をしていたかと思えば、今度は僕の肩を叩いてきた。

「んじゃまぁ、買い物頼むわ花京院」
「……は?」
「おいおい忘れるなよなァ〜〜!俺のヘアワックス買ってきてくれってさっき頼んだだろ?俺は昨日の傷がまだちっと痛むんだわ。だから、な!」

念の為言っておくが、記憶をいくら掘り返してもそんな約束をした覚えはない。
しかしポルナレフはあくまでも僕が忘れたと言い張っている。

「あぁそうだ、も一緒に行ってやってくれよ。ジョースターさんも単独行動するなって言ってただろ?ホテル内ならともかく外出すんなら誰かいた方がいい」

もっともらしいことを口にして、ポルナレフは彼女の肩を叩く。反射的に頷いた彼女を確認したら、ポルナレフは客室へと続く階段へ足を向けていた。去り際、肩ごしに顔だけをこちらへ向けてヘアワックスを売っているだろう店の位置を大まかに伝え、「よろしくな〜」と手を振るおまけつきだ。
突然のお使い要求はおそらく、いや完全に余計なお節介からきたものだろう。僕との会話の流れ、そしてもっともらしい理由で彼女を同行させようとしている。推理するまでもなくポルナレフの考えは透けて見えた。更に言うならば階段を上がる前にこちらへ投げ寄越した視線には、『ちったぁ仲良くなってこい』という無言の訴えが僕にだけ向けられていたのだ。疑う余地はない。

「……花京院くん?」

呼びかけられて、目を瞬かせた。どうやらポルナレフを見送っている最中からずっと眉間に皺が寄っていたらしい。それに気付いていたのだろう彼女が遠慮がちな声で呼びかけたのだ。そんな彼女は、困ったように僕の顔を見上げている。

「もしかして……都合、悪い?」
「えっ?」
「ポルナレフからのおつかい。……困ってるように見えたから」

彼女は眉間の皺と僕の態度を逡巡の後に『困っている』と表現した。あながち間違ってはいないが、それはおつかいに対してと言うよりも彼女は知らないポルナレフの態度についてだ。しかしそれを正直に訂正するほど愚直にはなれない。首を軽く横に振り、彼女の言葉を否定するので精一杯だ。

「都合は悪くないよ、大丈夫」
「そっか。よかった。……じゃあ、行く?」
「あぁ、うん。すまない」

出口を視線に入れ問う彼女に頷いた。同時に付け足した言葉には少し目を見開いて驚いていたけれど、彼女はすぐに首を横に振った。

「ポルナレフが言ったことも頷ける……というより当然でしょ?一人で出歩くのは危ないし、私はこの通り暇だし……。ちょうど買うものもあったから」
「なら、『ありがとう』だったかな」
「そうね、どうせなら」
「ありがとう、さん」

礼を告げると、頷きはにかんでいた彼女が考えるように視線を動かした。どうかしたのだろうか。瞬間的に足を止めるべきか迷ったが、彼女が止めていないのを見て止めようとした足をまたぎこちなく動かす。大通りの舗装された道路に革靴の音が大きめにコツリと鳴る。

「……やっぱりヨソヨソしい、かな?」

窺うように彼女が問いかける。
何が、とそれに疑問符を重ねることはしない。話の流れを考えればすぐに思いつくことだ。

「どうだろう。君はそう思うかい?」
「うーん……わからない、かな。普通だと思ってたけど、改めて指摘されると……」

自信がなくなる。
タイミングを合わせたわけでもないが、彼女と重なって呟いていた。
多数に寄るという少なからず日本人が持つの性質に漏れず、お互い少しだけ不安を心に生んでいたようだ。いや、植えつけられたのだろうか。相手がポルナレフだというのが少し癪な気もするが。

「花京院くん」

彼女はとても丁寧に僕の名字をなぞる。風のようにさらりと耳に馴染むその声で。

「空条くんに倣うなら、『花京院』って呼び捨て、かな?そう呼んだ方がいい?」
「そうすると僕も呼び捨てになってしまうけど……」
「……」
「……」

言い合って、暫しの沈黙。少しして、難しそうに眉を寄せていた彼女が呼吸と共に力を抜く。

「……なんだかヘンな感じがするね」
「……あぁ、僕もそう思うよ」

お互いに顔を見合わせて笑いあう。
ヘンな感じがする、と彼女は言った。それには同意する部分もある。いくら仲間とはいえまだ出会って間もない同い年の異性を呼び捨てにするのは抵抗がある。
……いや、少し違うか。単に『慣れていない』のだ。その習慣がない。
彼女はきっと、もともとそういう性質なのだろうと思う。相手に礼儀をもって接し、親しみをこめて敬称を自然につける。はそんな美徳を持つ少女だ。
だが自分はどうだろう。
浮かんだ疑問に己を顧みれば、それは礼儀や親しみではなく——おそらく『壁』という言葉が一番近いような気がした。
同性であれ異性であれ、親しくしたところで彼(彼女)らとは決して理解しあえない。
壁を作り出したのは、幼少期から根付いていたその思いだ。自分のエメラルド色の半身にスタンドという名称があることを知るまでに作り上げたそれは、一朝一夕で取り払えるような根付き方をしてはいない。
それを仕方ないと思う反面、もどかしい。
自分が積み上げてきたのは拒絶を内包した積木なのだと自覚する度に、それすら許容する仲間たちの眩しさに眩暈がしそうだ。簡単に言えば——羨ましいのだ、きっと。

「花京院くん」

また彼女が僕の名字をなぞる。今度は少しだけ、はにかむように。

「私はこの呼び方、結構好きなんだけど……」
「……どうして?」
「かきょういん、って響き、好きなの。すごく綺麗じゃない?だからきちんと呼びたくて」

彼女の言葉に、ドキリと心臓が鳴った。
名字の響きが綺麗だとか、ましてや好きだ、なんて。そんな言葉を初めて受け止めた気がして、おそらく嬉しくてこの心臓は音を出した。
もしかしたらこれまで過ごした時間の中で、聞いていた言葉だったかもしれない。理解しあえない誰かとの過ぎていく会話の中で、あるいは。しかしそれは僕の『壁』に何の揺らぎも生み出さずにいたのだろう。両手から零れ落ちる砂のように、ただ流れていく言葉だった。
でも、彼女が発したそれは、違った。
まるで、積木の隙間から見え隠れする本音を、積木ごとそっと両手ですくい上げるような。
——そんなありふれた(けれど難しい)優しさで、僕の『壁』に揺らぎを与えた。

さん」
「うん?」
「もう少し、この呼び方のままでいいかな?」

そう呼ぶのは、ヨソヨソしいからじゃない。遠慮をしているからじゃない。
日本人とは複雑なもので、そんな目に見えない言葉の裏側に信頼を籠めたりするのだ。
つい今しがた、彼女から教わったようなものだが……。
きっと心の奥底では、彼らのように『』と気安く、親しみをこめて呼んでみたい気持ちもあるのだろう。けれどその気持ちをまだ素直に口にする勇気はなかった。
まだ小さな揺らぎだ。積み上げてきたものを一瞬にして崩すような力はない。
もしいつか、何もかもを吹き飛ばせる風が吹いたら——呼べるのかもしれないけれど。

「うん。改めてよろしくね、花京院くん」
「よろしく、さん」

今はまだ、やわらかな風のままで。



(13/05/08)



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