[93/アリスと時計ウサギ] ※ハトアリパロ:万丈目→アリス、夢主→ペーター 他



「アリス、アリス」

今日もまた、にこにこと何が楽しいのか満面の笑みを浮かべ、頭から細長く白い耳を生えさせた少女が俺の元にやってくる。
歩く度にじゃらじゃらと、その身の丈にしては大きな懐中時計が揺れた。
人懐っこく俺を呼ぶ相手に、俺はすぅと息を軽く吸い込んでから大きな声で言い返した。

「だぁ!俺は万丈目“さん”だッ!いい加減に覚えんか、この馬鹿兎ッ!」
「馬鹿、とは酷いなぁ。アリスはアリスなんだ、って何度も言ってるのに」

俺の言葉に不満を露わに唇を尖らせたのは、人の姿をしている癖に兎の耳を生やした不審者だ。
……いや、女の場合は男と違って変な奴、程度で済むのだろうか。この世界に来てから若干自分の中の常識が崩れかけてきている、気がする。
兎耳——もとい、時計ウサギと呼ばれる少女、は断わりも無く俺の隣に腰を下ろした。
目の前には深い湖面。周囲は緑の木々に覆われた、森の中の一角。無論、迷子になっている訳ではない。
こんな狭い街で迷子になるのはハートの城の騎士であり恐ろしい迷子癖の持ち主、遊城十代位にして欲しいものだ。
今日こんな所に居るのは、ただの気紛れだ。朝・昼・夜がランダムにやってくる、おかしな国。
遊園地と城とマフィアの巣窟が共にあり、何処もが己の領地を広げんとばかりに争っている不穏な場所。
そして、誰もが俺に好意を寄せるという——俺の夢が作りだした、産物。
ある日、兄さんと庭でお茶をしていた時うっかり転寝をしてしまった。
そして夢の中に出てきた兎を追いかけ、気付けばこの国に来ていた。……夢だ。夢に違いない。
こんな銃やら武器やらが氾濫していて、そこかしこで銃撃戦が繰り広げられて、……誰もが俺を好きな国、なんて。
そんなものは夢でしかない。現実ではありえない。寝ても覚めない夢。それが、この国だ。

目の前の白ウサギも、俺の脳が作りだした産物に過ぎない。
兎にも変化出来て、普段はそのふわふわな耳を頭上で揺らしている。体は華奢で、でもある程度の肉付きはある。
俺の事が何よりも好きで、俺以外には何も興味が無い——何処か病んだ兎。
夢の産物である兎は、俺の隣に座ると何が楽しいのかニコニコと俺を見つめていた。

「……何だ」
「アリスと一緒に入れて幸せなんだよ」

怪訝に尋ねると、さらりとはそう言った。恥ずかしげも無ければ、からかっている様子も無い。
どうやら本気らしく、それはもう嬉しそうに口元を綻ばせていた。どくり、と鼓動が跳ねる。
少女然とした表情。——今まで誰に向けられる事も無かった、情。
自分のような人間を好きになる人間なんて、世の中にはいない。いたとすればそれは幻想だ。
そう、今まで信じてきた。そして、恐らくこれからも信じて行く。それでもこの笑みを見る度、僅かな動揺が走るのだ。
どうしたらいいのかが分からない。何と声をかけていいのかすら、分からない。だから結局、無難な返答で茶を濁す。

「……そうか」
「うん。しかも、他の誰もいないんだもん!アリスと二人きり、なんて凄く幸せだよ」
「俺と一緒に居た所で何もないがな」
「そんなこと無い!アリスといるだけで、私は幸せになれるもん!」

ぶんぶんと首を横に振り、必死でウサギは俺の言葉を否定する。滑稽だ。脳内の産物は、何処までも俺を肯定してくれるらしい。
俺自身はこんなにも自身を否定しているというのに。
それとも、本当は俺が気付いていないだけで、俺は誰からも愛されたいと願っているのだろうか。
誰からも肯定されて、ありのままの自分が受け入れられる。そんな世界、有り得ないのに。
でも——恐らくそうなのだろう。この、彼らが呼ぶ自分には不釣り合いな“アリス”という名前からしてそうだ。
童話の中の、愛される人間になりたい。その願望の表れ。女々しいったらありゃしない。
目の前の少女が、この国の彼らが、俺を好きだ愛している大切だと口にする度に俺は自分に向けて嘲笑したくなる。
そんなにも愛されたいのかと。こんなにも俺は愛に飢えているのかと。
自身の醜い根底を見せつけられているような感覚。それは苦々しすぎて、哂いでもしなければやりきれない。
仄かに自嘲を浮かべる。と、不意にウサギが悲しそうな——それでいて、怒っているような顔をして俺を見ている事に気付く。

「……?何だ、
「アリスは、どうして自分の価値を認めないの?こんなにも私達……ううん。私は、アリスが好きなのに」

ばさり、という音と共に視界が反転する。背には、新緑の葉の柔らかい感触が広がる。両肩は、目の前の少女に掴まれていた。
押し倒されたのだ、と即座には判断できなかった。何が起きたのかよくわからず、ただ唖然と少女を見上げる。
見上げた先の少女は、怒っていた。もしこれが兎の姿であったら、毛が逆立っていたのではないか。
……まぁ、兎が怒った姿など見たことが無いからわからないが。

「ねぇ、アリス。アリスはどうすれば満足なの?どうすれば、理解するの?」
「……どうするも何も、貴様らは俺の脳内の産物だ。己の生み出した妄想に、好きだ愛してると囁かれて悦ぶのは変態だろうが」

普段ならば口にしないような言葉が、さらりと口から零れ出る。この言葉が余計彼女を怒らせると分かっていたのに、言わずには居られなかった。
妄想の産物。脳内。実態を持たないもの。本物ではない——紛い物。
名前を呼ばないのが良い証拠だ。俺の、ほんのわずかな理性が妄想に名を喋らせる事を抵抗しているのだと分かる。
だが、少女……は俺の言葉に、ただただ悔しそうに唇を噛む。余りにも強く噛み過ぎて、ぽたり、と赤い滴が頬に落ちた。

「私は、アリスの妄想じゃない。ちゃんと存在していて、アリスを愛してるの」
「嘘だ。俺を好きな奴ばかりの国なんて狂っている。ふざけている。そんなもの、存在しない」
「するの!!」

ぐ、と肩口をつかむ両腕に力が掛かる。少女とは思えない握力に、思わず眉を顰めた。
やめろ、と言いかける。だが、その言葉は音にならなかった。
なぜなら、見上げた先の彼女は今にも泣きそうな位に必死だったから。

「この世界は、この場所の人々は、みんなアリスが好きになる。それは妄想でも魔法でもなく、必然。だってアリスは、素質がある」
「……何の、だ」
「愛される素質。他の世界なんて知らない。でも、この国ではアリスを誰もが好きになる。余所者とはそういうものなの」

どれもこれも、聞いた事のあるような言葉だ。——夢の中で大徳寺が言っていた言葉。
この世界では、誰もが俺の事を好きになる。俺にはその素質がある。だからこそ、選ばれた。
……どれも戯言だ。だが、はそれを必死になって否定する。どうして?そんなことは、分からない。
悔しそうな、今にも泣きそうな顔。——何処かで見た覚えがあるような気が、した。

「……好き。好きなの。私は、アリスが——万丈目準が、愛しい。万丈目君が万丈目君だからこそ、好き。
他の誰かじゃダメなの。万丈目準、という存在じゃなきゃ嫌。貴方なら、どんな姿だって構わない」

そう言って、は口づけた。柔らかい感触。この世界で初めて呼ばれた己の名に、言葉が出なかった。

「貴方の名前なんて、皆知ってる。けれど、——自分だけが本当の名を呼びたいから、アリスって呼んでるだけ。知らなかったでしょ?」

唇を離し、が言う。血の滲む舌を舐める様子は、普段の彼女の姿とは非常にアンバランスだ。
肩口の手を、胸元へと置く。もう片手で万丈目の前髪をそっと掻き上げた。

「万丈目君、好き。好きなの。愛してる。……だから、私だけに貴方の本当の名前を呼ばせて」

どんなに酷い事をしても、何をしたっていいから。そう、が耳元で囁く。
その声は滲む艶やかさとは裏腹に、酷く——切実で、悲哀が潜んでいた。懇願にも似たそれに、万丈目は返答できない。

「万丈目、くん」

が名前を呼ぶ。どくり、と胸が跳ねる。胸が、苦しい。
そんな顔をするな、と。そんな声で呼ぶな、と。心の奥底で誰かが叫んでいる気がした。

「私だけの、アリス——……準。……ねぇ、お願い、だから」

その願に抗うすべなど持っていただろうか。否、無い。いつだって、昔からこの顔には弱いのだ。
だから万丈目は言葉を返す代わりに、そっと瞳を閉じた。次いで降るであろう、柔らかな雨を待って。








<了>
(お題拝借/リライト様:選択課題・カップリングパロディー)




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Thunder Lightning.-http://www.geocities.jp/rain_orange_honey/-ちろる様