ナーサリーライム(クロウ)


「……」

 こんこん、と控えめなノックの音が響く。時刻は只今真夜中の1時を過ぎた所で、健全な学生——という身分は一人しか居ないマーサハウスではこんな時間に自室へと来訪者があるのはさして珍しい事でもなかった。
 ジャックにしろ遊星にしろ、ブルーノにしろ(と言ってもブルーノが単身で来る事は滅多にないが)男同士で話したい事もあるのだろう。大抵がDホイールの話題になるのは致し方ないとして、確か昨日から遊星とブルーノがまた徹夜でプログラムを組んでいた事を思い出す。

(まさかまた、この間みたいに妙なテンションで遊びに来たとかじゃねーだろうな)

 部屋の主であるクロウは訝しげに扉を見遣る。彼も寝る前に軽くデッキ調整でも……と思いデッキを弄り始めたら思いの他いつもよりアイディアが湧き、ああでもないこうでもない、と一人頭を捻っていた為こんな時間まで起きていた。
 安眠を妨害された訳ではないので気分が悪いというのは無いのだが、前回度重なる寝不足の中でプログラムを完成させたブルーノが「終わったよー!終わったよクロウ!僕達にも明日と言う名の虹が降り注いだんだ!」とかなんとか喚きながらハイテンションで抱きついてきたのは苦い思い出だ。あの時は何とか宥めすかせて眠らせたのだが、今日もそうだったらどうするか。そう考えつつ、扉の向こうに声を掛ける。

「おう、入って来いよ」
「………お邪魔、します…」
「っ……!?」

 クロウの声に応え、室内に入ってきたのは予想外の人物だった。この家で唯一健全な学生であり、遊星の妹でもあり——尚且つクロウの想い人であるが、何故自分の部屋に来たのか。一瞬動揺するも、昔……鬼柳達と一緒にチームサティスファクションとして過ごしていた頃にはよくあった事だと思い出し、なんとか己を落ち着かせる。

「クロウ、まだ、起きてた……?」
「お、おう。……はどうしたんだ?」
「……怖い、夢、見たから……………」

 は既にパジャマに身を包んでおり、腕にはタオルケットを持っていた。どうやらこの部屋で寝るつもりらしい。全くに男として意識されていない事を改めて実感し、若干悲しくなる。が、それよりも動揺の方がクロウの中では大きかった。
 いくらがクロウを男だと思っていなくとも、クロウはが好きだ。それは普段面倒を見ている子供達に向ける愛情とは違うものと言う事もクロウは理解している。かと言って年端も行かない(実際は5歳も離れていないのだが)子供相手に手を出す気は毛頭ない。毛頭ない、がしかし。好きな相手と一緒にいて冷静で居られる男が居るだろうか。否、居ない。
 しかしここで追い返すのは酷だろう。恐らくがクロウを選んだ理由は、遊星の邪魔をしちゃいけないと考えたからだ。遊星を頼れないのなら、クロウを頼るしかないだろう。こうしてわざわざ自分を頼りに来た相手を無碍に扱うのは良心が余りにも痛い。
 普段よりも一層顔色を悪くしながら入り口の所に立っているをそのまま放置する訳にも行かず、クロウは仕方なく手招きをした。

「ほら、こっち来いよ。いつもの話、聞きたいんだろ?」
「……!…うん……!」

 クロウがそう言うと、は一瞬驚いた顔をして、それから嬉しそうに笑った。ぱたぱたと控えめな足音を立ててクロウの元へと駆け寄ってくる。愛くるしい仕草に思わず頭を撫でると、はくすぐったそうに目を細めた。
 ぴょん、とベッドの上にが飛び乗る。カードはがクロウの傍に来るより前に片付けておいたので問題は無い。あるとすればクロウの心臓が持つかどうか、である。ちなみに理性は崩れないのでその辺りは問題ない。……これは別にクロウの理性が鉄壁である、という訳ではなく、単純にヘタレだから、である。
 はベッドの上にちょこんと座ると、タオルケットを羽織ながらきらきらした目でクロウを見つめる。が聞きたがっている話。それは、あの——ダイダロス・ブリッジに纏わる男の話だった。
 あの話の真実が分かった今でも、クロウはこの話が好きだ。そしても。クロウの周囲に居る子供達と同じように、何度も何度もせがんでは、静かに物語を聞く。今日もいつものようにあのクロウの憧れた英雄の話をすると、は楽しそうに時折首をこくこくと振り相槌を打ちながら聞いた。
 いつものように話しを終え、一段楽する。はもう怖い夢のことなど忘れたようで、嬉しそうににこにこしていた。

「話はこれでおしまい!……よし、そんじゃ寝るか」
「……うん。……ありがとう、クロウ」
「いいって事よ。俺達、——家族、だろ?」
「うん……」

 クロウがベッドに横になり、隣にスペースを作ってやるとはタオルケットを毛布代わりにクロウの隣に横になった。家族、という言葉に殊更嬉しそうにはにかむの顔を見て、クロウは複雑な気持ちになった。
 結局はにとって自分は家族、なのだ。それはある意味で喜ぶべき事だったし、素直に喜べない事でもある。
 家族を亡くした自分に、家族のように接してくれること。それはクロウにとって何よりも嬉しいことだ。けれど、クロウはが好きだ。顔が可愛いとか、小さくて守ってあげたいだとか、そんな理由じゃない。
 遊星譲りの強さを、はこの小さな体の中に秘めている。どんな事にも屈しない。例えそれが勝ち目の無い試合だとしても、何かを守る為ならは全力で戦うだろう。——そういう直向さが、ただ、眩しかった。だからその、彼女の真っ直ぐな所を自分が支えてやりたい。彼女が世の中の汚さなどに負けず、己を貫く姿を傍で見たい。


「……でもよ。もっと、こう…王子様だのお姫様だのが出てくる話の方が、良いんじゃねぇか?」

 が寝易いように、と部屋の明かりを暗くする。ふと今まで不思議に思っていた疑問をクロウが口にすると、は少しだけ考えて、それから小さく首を横に振った。

「……クロウの、話が好き、だから。……それに、ね」
「ん?」
「——私は、……王子様とお姫様しか幸せになれないお話、好きじゃ、ない」
「……そうか」

 はっきりと告げられた言葉は、何故だか不思議と嬉しくて、クロウは優しくの髪を撫でた。
 それからは何も言わずに目を瞑る。手が届きそうな距離。けれどクロウはただ優しく、が眠りに付くまでいつまでも静かに見守っていた。





<了>



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Thunder Lightning.-http://www.geocities.jp/rain_orange_honey/-ちろる様