は白が似合うね」
「えっ」
まんまるくした視線の先で、ブルーノが柔らかく頷いていた。改めて自分の姿を見下ろす。頭のてっぺんから爪の先まで確認しても、白なんて清楚な色はどこにもない。
「あっ間違った。似合うと思うんだ」
相変わらずの笑顔でそう告げたブルーノに、きょろきょろと服を確かめていた自分が映っていたのかと思うと、滑稽に思えた。服を捲ってみたり襟を伸ばしてみたりと忙しなかった手を、諦めたようにぶらりと下ろす。その手はサテライトで駆けまわった生活のお陰で、日に焼けてすっかり浅黒い。
「こんな真っ黒の肌に似合わないでしょう」
「そんなことないよ!」
ね。とブルーノは遊星を振り返る。D・ホイールを磨いていた遊星は、いきなり話を振られたことに驚きながら、暫し手を止めて、それから私を見て首を傾げた。
「…俺は服のことはよく分からないな」
「遊星が分かってないのはのことだよ!」
まるで私のことを全て理解しているかのような口ぶりで遊星をなじると、またぐるりと私に顔を向ける。
「絶対似合うんだって!」
「う、うん」
ブルーノの異様な勢いに飲み込まれるように、その時の私は、ただ頷くばかりだった。



千夜一夜



ブルーノの夢を見た。久しぶりの邂逅だった。当たり前だがやはり彼は昔のままの顔で昔のままの柔らかい笑みをたたえていて、昔のまま、そっと私の手を取った。

目が覚めた時の感想は、最悪だ。せっかく必死で遠ざけていたものを、この一夜で思い出させられてしまったのだ。こういう時は、数週間の周期で訪れる。何の前触れもなく、突然ぽっと、夢の中に侵入してくるのだ。その神出鬼没さは、此方の都合などお構いなしだった。
例えば悲しくてどうしようもない時。夢の中でブルーノが朗らかに笑って包み込んでくれる。例えば楽しい日々を過ごせた時。眠りの中でブルーノが私と一緒に笑い合ってくれる。でもどんな時でも変わらず朝は必ず訪れるのだ。目が覚めた時の、残されたのだと思い出す瞬間のあの虚無感を、私は何度も味合わなければならなかった。

ブルーノ。ぽつりと、胸の中に彼の名前が転がり落ちてくる。ひとつだけ取り残されて、他の言葉はどこを探しても見つからない。何か呟こうとすれば、彼の名前だけが口から零れた。
喉がカラカラだ。水でも飲みたい気分だったのに、飲まずにこのまま布団の上でじっとしていてもいい気がし始めた。

帰らない人間に捕らわれ続けているなんて、なんて滑稽なのだろう。こうして思いを馳せる時間ばかりが膨大になって、現実がちっとも見えてきやしない。現に、目の前がゆらゆらと揺れて、さっきまで夢で感じていた幸福感などすっかり消え去ってしまっている。折角の休日だというのに、気分はこれっぽっちも上昇しない。
思い出すのはブルーノとの思い出ではない。ブルーノの温かさや、笑顔や、両腕や、仕草や、ブルーノそのものなのだ。これ以上に辛くて悲しい瞬間はなかった。
夜明けの薄暗い室内のせいだろうか。沈んだ心につられるように緩くなる涙腺を、必死でせき止めた。零れそうになるのを、目を開いて耐えしのぐ。泣いたと思えばきっと溢れ出てしまうだろう。目元から決壊して、もう止められないに違いない。
泣けば何もかも楽になって、このまままたぐっすり眠りにつけるだろうが、その後はまた何一つ変われない空虚な日常に戻ってしまうことを予感していた。鼻を啜って立ち上がる。安っぽい姿見の横に、ずっと着ないまま放って置かれたワンピースが、カーテンの隙間から漏れる微かな明かりに照らされて静かに壁に佇んでいた。

──どれでも選んでよ
──はい?
遊星から頼まれた買い出しの途中で、モールにずらりと並ぶ女性服店を指さして言ったのは、ブルーノだ。後にも先にも、こんな突拍子も無いことをしたのは、ブルーノだけだった。
そういえば昨日、白が似合うかどうかという会話をしたばかりだったことを思い出す。「白が似合う」までは嬉しかったのだが、「だから着てみてよ」と言われて断ると、挙句「僕が選んであげる」と笑顔が飛び出した時は、さすがに冗談だと思っていた。しかし、ブルーノにそういう気持ちは少しもなかったらしい。
──ほら、これとか似合うんじゃないかな
呆然と思い返していた私に、ブルーノの明るい声が投げかけられる。マネキンに綺麗に着せられた服と私を交互に見て、ね?と満足そうに笑った。視線を辿って見れば、首元のリボンがポイントの白いブラウスが、店内の淡い光に当てられて飾られている。確かに可愛い。でも、と自分の姿を顧みた。頭に浮かぶのは、浅黒くて走りまわってばかりのちっとも落ち着きのない、白とはかけ離れた自分だ。
──うーん…
──あ、こっちもいいと思うんだ
言葉を濁すものの、ブルーノはこれっぽっちも私の意見など聞き入れるつもりは無いようだった。
──私はそういうのは…
──ちょっと着てみてよ!絶対似合うからさ

記憶の声に引き寄せられるまま歩み寄り、手に取って合わせてみる。真っ赤な鼻っ柱の目立つ顔には不釣り合いの、淡くて白いワンピースが、すとんと肩から膝まで落ちて、冷たい床にふわりと微かな風を吹かせた。

引きずられるように押し込まれた試着室のカーテンを、ゆっくり開ける。鏡に映った白と黒の自分は、少し違和感があった。似合うかどうかも分からずに、ブルーノに見せるようにぎこちなく腕を広げる。
──ど、どう…?
答えは返って来なかった。似合う似合わないどころか、フォローを考える唸り声すら聞こえてこない。気づいていなかったのだろうかと見上げた先で、ひたと目が合う。ブルーノがただ口を開けて私を見つめていた。
──ブルーノ?
──あ、いや……す、すごく…
落ち込むより早く、私はやっぱりと笑いそうになった。似合うわけがなかったのだ。
──わかってるよ
──い、いや、そうじゃなくて…!
呆れたようにため息を付いて、早々に着替えるためにカーテンを閉めようとすると、ブルーノが慌ててカーテンごと私の手を掴んだ。
かわいい。何か音が聞こえた気がした。
──かわいいんだ…
俯いたブルーノは、困り果てたといった表情で私に笑いかけた。ばかだ。ジャックの言うように、ブルーノを本物のばかだと思った。この時、本当に困ったのは私の方だった。

姿見をそっと眺めて、胸が高鳴る。痛みを伴う甘さを含んで、トクトクと小刻みに揺れた。握りしめられた手の感触も、長身で俯くせいで覆われたみたいな影が出来たことも、仄かに赤かった顔は隠せていなかったことも、胸の中で脈打っている。
一度しか着なかったワンピース。これを着なかったのは、初めて可愛いと言われた恥ずかしさと、ブルーノからのたった一つのプレゼントを汚したくないという想いからだった。けれど今思えば、もっと彼の前で着ればよかったとも思う。こうして壁掛けにするためではなく、私に着せるために買ってくれたのだから。

何かが足りない気がして、ぎこちなく笑ってみる。私に白が似合うと、白い服ばかり着せたがったブルーノは言ったのだ。あのモールで、恥ずかしげもなく。

──君は笑顔が本当に似合うね

小走りにカーテンを開けた。そして振り返る。朝の眩しい光をまとったワンピースが、一瞬で部屋に光を満たした。ぎこちない笑みでも、今は構わないと思った。これもブルーノが、ワンピースに添えてくれたプレゼントに違いないのだ。
鏡に映るのが腫れた目でも、真っ赤な鼻っ柱でも、ぎこちない口元でも、確かにこのワンピースには笑顔が必要だった。





(ほのぼの100題 2/055/ぴったり)
11/09/29 短々編