うきみしずみ



誕生日は生誕を祝う日であって、想いを告げる日ではない。御伽は毎年この日が来るたびに、誕生日とはどうあるべきかを考えずにはいられなかった。
自室の机に座って、立ち上げもしていないパソコンの真っ暗な液晶を前に、閏日を除いた二月の最後を平穏無事に過ごせた日があったかどうか考えてみるが、御伽はどうやっても思い出すことが出来ない。こうしてコーヒー片手に休日のひと時をくつろいでいる今でさえ、時刻を確認するためだけに携帯を開くにも、ディスプレイはほぼずっと受信と着信で点灯し続けているのだ。
高校を卒業してもずっとこの調子ならば、生涯2月28日という自分の誕生日を忘れるなんてことはないだろう。見覚えのある名前をいくつも羅列している液晶に、皮肉めいた笑みを零すと、御伽はひとつため息をついて携帯をベッドの端へ放り投げた。暫くは何者にも関与されない時間が欲しかった。

この年代一般が、誕生日をどう捉えているかは御伽の知ったところではない。大して知りたいとも思わない。しかし今日が年に一度しかない自分の誕生日であり、休日に被ったことは御伽にとっては安堵すべきことであった。
何故だろうと自分で言うのもおかしいかもしれないが、昔から御伽の周りから異性の姿が絶えたことがない。ファンというならば聞こえはいいが、取り巻きじみた行為で感情を押し付けてくる者も多かった。御伽自身はあまり人の好意に無碍な態度で返したくないのだが、クリスマスやバレンタイン、そして今日のような誕生日といった女性好きのするイベントには、いつも閉口していた。せざるを得ない、と言った方がいいのかもしれない。
御伽の異性を惹きつける力は突出していたが、それに引き寄せられた異性を助長するイベントの力も尋常ではなかった。それは休日であるというのに、一向に鳴り止む気配を見せない着信が語っている。

一番に困るのは、告白だった。プレゼントなどの類ならば、笑顔を浮かべて喜んで受け取るだろう。しかし告白は別だ。
自分を好いていてくれることは何よりも嬉しい。だが、それに合うだけの好意を自分は到底返すことが出来ないのだと思うと、接するにも申し訳ない気持ちで胸が痛む。だから告白というよりも、御伽が苦手なのは、好意を受け取れられない自分自身だとも言えるだろう。
そうは言うものの、出来るならば今日という日に告白だけは聞きたくないと、御伽は思わずにはいられなかった。告白だけではなく、いつも自分に気にかけてくれる異性のどの人間にも、あまり会いたくはないというのが正直な気持ちだった。
簡単なことだ。何の裏もなく、単に誕生日というだけで「おめでとう」と一言、そう言ってくれる人間が、取り巻きの中にはいない。少しも雑念の入らない、純粋に御伽だけに向けられた祝福の言葉が、御伽には至高のものであり欲してやまないものであった。
だが残念なことに、着信履歴や受信メールを見る限り、御伽の望むような言葉をくれる人間はいないようだった。

所在なく椅子に腰かけたまま、360度にくるりと回転する。ゆっくりと回転をやめたところで、背もたれに重たく体を預けた。今日は何をしようかとも考えたが、一向に何も思い浮かんでは来ない。
暖房機器も用済みに近い温かな部屋の中で、御伽が唯一明確に言えることは、外には出ない方がいいということだけだった。
少しでも暇を解消するためか、机上に整然と並べられた資料やコンポを確認するように丁寧に眺めていく。ふと、カレンダーに目が止まった。今日も夜の12時を過ぎれば、きっとくずかごの中へ放られる運命にある卓上カレンダーの、小さな文字に視線が流れる。そのまま、何を考えるわけでもなく、御伽はじっとその文字を見つめていた。

ごつりと、突然鈍い音が壁を叩いた。御伽が気づいてから間を開けずもう一度。それも窓側にある壁からだ。
父親ではない。父親は今階下で接客をしているし、御伽を呼びに来るならばドアをノックしただろう。それにいくら急用で叩かなければならなかったとしても、音が聞こえたのは外だ。二階にある御伽の部屋へ、御伽を呼び出すために何かを壁に投げつけるような親ではない。
不審に思いながらも椅子から立ち上がって、壁に身を寄せながら窓下を覗きこむ。人の姿は見えなかった。出来る限り見渡してみるが、御伽の位置からではやはり人影を見つけることは出来ない。
御伽が身を寄せた壁に、もう一度ごつりと固いものが投げられる。石だろうか、当たった衝動が壁越しにじわりと伝わる。いたずらなら思い当たる節はいろいろあった。先日の店舗焼失から、色恋の逆恨みまで、本当に色々である。
御伽は次に投げられたならば階下まで駆けて行ってダイスでも投げつけてやろうと、いつになく短気な考えを起こしていた。

壁がまた鈍い音を立てる。ついに御伽はかっとなった。さっき考えていたように、いたずらなら駈け出してすぐにでも捕まえてやろうと、窓をひと睨みして背を向ける。
おとぎー。しかし耳を通り抜けて行ったのは、御伽が想像していたものとはかけ離れた、同級生の聞き慣れた声だった。
驚いて半身に窓を振り返る。そして急いで開け放った。
「あ、やっぱいるんじゃねーか!」
壁沿いぎりぎりに立ってあっけらかんと笑っていたのは、今年から同じクラスになったばかりの同級生、城之内克也だった。
「出てくンの遅ぇーよ」
何やってたんだぁ?とにやけ面で見上げるのは同じく本田ヒロト。その横に呆れた顔で立っているのが、武藤遊戯に真崎杏子。
「遊びに来たよー!」
そう言って輝くような笑みで手を振るのは、だ。そしてそれぞれの様子を、穏やかな笑みを浮かべて見守っている獏良了の姿。
「き、君たち…」
御伽は口を半開きにしたまま、それ以上言葉が出ない。
首が痛くなるほど垂直に御伽を見上げる城之内は、玄関を指差して何度押しても誰も出て来ねーんだよ!と自分勝手なことを言って叫ぶ。
「とりあえずいるなら入れてくれよ!」
「お前も暇だろうと思って、獏良のとこから全員でTRPG運んできたんだぜ」
言うなり御伽の返事も聞かずに、あーあ重てぇ重てぇと、大袈裟な動作で玄関口に腰を下ろす二人組を、まるで不良だなと御伽は思ったが、まるで、ではなく本当のことであったと、二人の行動を見送りながらぼんやりと自分に突っ込みを入れる。
「ごめんね御伽君、迷惑だったかな?」
「あいつらのことなんか気にしなくていいのよ」
遊戯と杏子が、すっかり玄関でくたびれた風を装って座り込んでいる二人を見て、申し訳なさそうに御伽に向かう。
「いや、そんなことは」
ないよ。と言おうとした言葉は、の声で遮られた。
「いやいやそんなまさか、御伽君はああ見えて暇だよ」
御伽の何を知っているのか、はさも御伽が自分たちを招き入れるのが当然といったように、笑いながら「ねぇ?」と御伽に同意を求める。ねぇと言われたところで、返答に困る。自分は暇だと声も高らかに言えばいいのだろうか。確かに暇には違いないが、人の家へ押し掛けてきておいて、や城之内、本田の態度はあんまりだろう。
「あのねぇ…
杏子の呆れた顔に、は冗談だと言って笑う。そして苦笑いを張り付ける御伽を見上げて、先ほどとは対照的に、遠慮がちに片手を掲げた。その手には小さな紙袋がぶら下げられている。
「ちゃんとおやつも持ってきたんだよ?良かったら入れてよ!」
強引な物言いは変わらないが、元々暇を持て余していた御伽に、の誘いを断る理由はない。
わかった。ため息交じりに肩をすくめると、階下の四人が一斉に笑う。
「城之内君たちみたいにとは言わないけど、玄関でちょっとだけ待ってて」
御伽が言えば、四人は一様に頷いて歩きだしていく。その背中を見ていると、御伽の気持ちは不思議と明るくなっていった。

思えば父親が復讐から目を覚ますつい最近まで、自分は友人を家に招いたことがあっただろうか。思い返すまでもなく、御伽にはその記憶はない。
だからだろうか、窓から見下ろした景色はいつもの御伽家の玄関であるのに、どこか知らぬ世界へ飛んだような心地でわくわくする心を止められない。こんな思いは初めてのことだった。
御伽はこの先の時間に期待に胸を躍らせながら、窓枠から手を離す。最後にと、再び友人たちの背を見つめると、一人がおもむろに御伽を振り返った。だった。
そしてふわりと笑う。いつものような無邪気な笑みではなく、春風のような温かみに満ちた笑顔だった。御伽はの笑みに吸い込まれる。
目を見開いたまま動きを止めた御伽に、は口を開いた。
声は出さず、口もとで言葉を紡いでいく。

たんじょうび、おめでとう

言い終えると仕上げのように、大きくピースを掲げてにっこりと笑う。それはらしい太陽に似た表情だった。
呆気にとられる御伽とは対照的に、はそれっきり背を向けて玄関先で雑談の輪に入り込んでいく。御伽は静かに窓を半分だけ閉めた。
振り返って机上のカレンダーに視線を送る。

2月28日。御伽が目をとめた日付が、そこに二月の最後を示している。ゆったりとした足取りで机に歩み寄ると、御伽はカレンダーを手に取った。そして白く細い指先で日付をなぞり、その横へ指を滑らせる。
──先負。
御伽は目を細めた。六輝を気にしていたわけではないが、休日でよかったと思ったのは、このせいでもある。御伽の記憶が正しければ、午前は凶、午後が吉で日を静かに過ごせば吉となる日だ。
ベッドの端に放った携帯を手にとって、ディスプレイを確認する。時刻は11時58分。相変わらず着信、受信は続いているが、断るにはいい予定がこちらには入ってしまった。御伽は満足そうに笑って、携帯の電源を切る。

外では楽しげだが騒がしい同級生の声が、空高く響いている。彼らの様子では、とても平穏には過ごせそうもない。電源を切った携帯を、御伽は机の上に静かに置いた。吉だという午後まではあと二分。椅子の上に腰かける。
こうしてあと二分を玄関先で待たせたら、友人たちはどんな顔をするだろう。
「きっと怒るだろうなぁ…」
そう思いながらも、御伽は決して腰を上げようとはしない。せめてあと一分、自分はこの椅子の上で平静を保っていようと、御伽は優雅な手つきでコーヒーを口元へ運ぶ。

開いた窓から、朗らかな昼の日差しが部屋を包み込んでいる。しかしそれよりも御伽を温めていたのは、階下から聞こえる友人たちの明るい声と、最後にがくれた、たった一つの言葉だった。



(ほのぼの100題/004/ともだち)
10/02/28 短々編