エイプリル・ホーン
四月馬鹿企画オムニバス - ジャック、ヨハン、本田


1:ジャック・アトラス(WRGP初戦ネタバレ)

目が覚めるなり状況を聞くと、戦況が自分の敗北の時より悪化していたことをジャックは知った。液晶を通して見る限り、遊星のデュエルは危なっかしい。あいつらは何をやっているのだと、支えになっているのかも分からないクルーたちにやきもきしていたところに、一瞬ピットが映し出される。
予想通りと言ったところか、ジャックの懸念していたよりクルーの表情は硬く、遊星に声を届かせようとする気配は見られなかった。仲間の声援なしで、あの絶望的なLPから追いつこうというのは、無謀にも近い気がした。士気は、絶対的に勝利に関わる。
しかし、再びピットが映し出された時、ジャックの不安は一気に別の対象に持っていかれた。
「………?」
唯一無二の異性の幼馴染みであるの頬が、見るからに赤らんでいる。視線の先は同じく液晶。クルーの誰もが伏せがちな目をする中、ただ一人だけ顔を上気させ、嬉々として液晶に食いつかんばかりに顔を寄せている。
はデュエルが好きではあるが、ここまで興奮する姿を今まで見たことがない。鬼柳と組んでいたあの時代でさえだ。

ターンごとに挟まれるピットの様子に、ジャックは釘づけになる。最早デュエルよりそちらに気が引かれて仕方がない。の顔は赤いというよりも、真っ赤なのだ。
遊星が、アンドレのLPを削る。が頬に手を当てた。そして小さな口元が何かを紡ぐ。
ジャックの目がこれでもかというほど開かれた。の紡ぐ文字の一字一句も漏らすまいと、目のレンズを絞る。どこかでカッと音が鳴った。
(あ…)
なぞる。の口元が放つまま、ジャックはそれを辿る。
(ん…ど…)
ばさりとシーズを引きはがした。ジャックを取り囲んでいた三人から悲鳴が上がる。
「なんだと…?!」
の赤らんだ顔。紡いだ言葉。頬に手を添え、恍惚とした目元。
前々からケンタウロスを格好いいと三積みするどころか、デッキテーマにするような女だとは分かっていたが、まさか!
ジャックは頭を振った。取り乱した自分の姿にも気づかず、慌ててベッドを下りる。頭皮の傷と打撲からか、立っているだけで床に崩れ落ちそうになる。しかし居ても立ってもいられず、カーリーの手を借りて、ジャックは病室を飛び出すように外に出た。

——アンドレ様

液晶越しに男の名前を紡いだ、の顔が忘れられない。






2:ヨハン・アンデルセン

!」
食堂へ向かおうとすると、明るい笑顔がを呼び止める。ヨハンが腕のフリルを靡かせながら、手を振って駆け寄ってくるのを見て、は体がとろけそうになった。爪先から少しずつ床に溶けて行っても、今なら絶対に後悔しないだろう。
「おはよう」
今身の内から出せる全ての幸福を挨拶に込めて、はヨハンへと手を振った。

が幸せに満ち溢れた笑みを零したことで、ヨハンの笑顔も一層清々しく光った。
ヨハンはの笑顔を見ていると、口に栓が出来ず、普段より幾分も饒舌になってしまうことを自覚していた。別れた後に、多少の後悔をすることを知っていても、あまり歯止めは利かない。
おはよう、今日も可愛いな。また朝から、そんなことを口から滑らせるところだったヨハンを救ったのは、他でもないの一言だった。
「今日もかっこいいね、サファイアペガサス」
『ありがとう、君も一段と可愛らしいよ』
開きかけた口が閉じ、変わりに右頬がひくりと痙攣した。
「…君たちは仲がいいんだね」
ようやく言って笑いかけると、は照れた風に
「そ、そうかな?」
とヨハンに小首を傾げると、戸惑う様にサファイアペガサスに視線を向けた。ヨハンの胸が、僅かに軋む。その大きな瞳に見詰められて、サファイアペガサスが小さく嘶いた。拍子に揺れた鬣から、宙に浮くように金の粒子が彷徨って静かに消えて行った。
「これも、ヨハンのお陰だな」
サファイアペガサスの顔は慈愛で優しく緩められている。ヨハンを見つめるそれと同じ色をしていた。
はどうあれ、少なくとも彼は家族以上の情は持っていないらしい。ひとまずほっと息をついて、横目にを見る。初めに声をかけたのも呼び止めたのもヨハンであったというのに、の視線はひたすらサファイアペガサスに注がれている。やはりは、そうなのだろうか。微かに上気した頬に、ヨハンの胸に影が射す。
精霊に、というのもおかしいが、精霊を家族と認める自分だからこそ、たとえが精霊に恋慕の情を抱いたとしても、何も不思議なことはない気もした。
それにしても。はサファイアペガサスを見上げた目そのままに、
「立派な角だよねー」
うっとりと一点を見つめている。誰に語りかけているのかは、ヨハンにも、サファイアペガサスにも分からなかったが、とりあえず両人返事だけはした。
「私、角って大好きなのよ」
ヨハンは改めて家族と称する自分の精霊に目を向けた。確かに、雄々しく逞しい雰囲気を一層際立たせているのは、頭部からひとすじに伸びる、サファイアペガサスの角である。そうだな。嬉しそうに鬣を揺らすサファイアペガサスに頷いて、俺もそう思うよ。に同意しようと向き直る。
今度は、の目はヨハンに真っすぐに向けられていた。胸に銃弾を撃ち込まれたみたいな衝撃を受ける。高鳴った、らしかった。
「やっぱりヨハン君もそう思う?」
嬉しそうなの弾んだ声に、ヨハンの心も激しく鼓動していく。

突然、が躍りあがった。
「そうだ、サファイアペガサス、あなたに見せたいものがあるの!」
そう言って廊下を軽やかに二、三歩跳ね、は子供のように無邪気に手招きをする。
「ヨハンくんも早く!」
ヨハンが行かなければ、サファイアペガサスもの後は追えないというのに、まるでヨハンはついでのような言い方だ。
「俺はお前のついでみたいだぞ」
悔しくなって、多少の嫉妬を込めてサファイアペガサスに笑いかけると、彼は困ったように尻尾を揺さぶっただけだった。
「早く—!」
「そう急かすなよ」
が駆け寄ってくる。いじけてしまいそうな心を叱咤するが、がサファイアペガサスを見つめる限り、嫉妬心は消えそうにはない。でも、
「お、おい!そんなに走ったら、」
走ったら、どうなる?が転ぶのが心配なのか。それもある。しかし、を止めたかったのはヨハンのためだ。
はさらりとヨハンの手を奪った。握り締めたまま走っていく。廊下をのんびりと歩く生徒の間を縫って、はヨハンと共に、必死に駆け抜けていく。激しく波打つ鼓動に、ヨハンの体は言うことを聞かないというのに。
「大丈夫だよ!とにかく、二人に早く見せたいの!」
人の手というものは、こんなに心地よいものだっただろうか。目の前を走る少女が、ヨハンの中でどんどん大きくなっていく。
「ヨハン、授業まで時間も少ないぞ」
緩やかに並行するサファイアペガサスの声で我に返る。そして頷き返した。
今のところは、ついでに甘んじていてもいいかもしれない。と繋がった手に、ヨハンは今日という日に幸福の足音を聞いた。
「おし、それじゃあ急ぐぞ!」
握られた手を握り返して、ぐんと、ヨハンは足のばねを弾ませた。






3:本田ヒロト

本田の元に、一通の手紙が届いた。届いた、というより手渡されたという方が状況に正しいのだが、城之内が「届けてください」と少女に頼まれた故に本田の手に渡したことを考えると、「届いた」と表した方が少女の願いに適っているのだ。
何はともあれ、本田は確かに城之内を介して少女からの手紙を受け取った。封筒の色は、淡いピンクである。いかにも女の子らしい可愛らしげな字の周りには、季節に合わせたように桜の花びらが舞っている。封筒のデザインもなかなか可愛い。
「本田ァ、てめーがラブレター貰うなんて明日は槍でも降ってくるンじゃねーか?」
ちゃかす城之内の目が厭らしく歪んでいる。本田の手紙を持つ手が震えているのを、笑っているようだった。うるさいと振り返って言うつもりが、体が固まってしまった上に、喉はしゃっくりみたいな音を残して詰め物でもしたかのように、締めつけられてしまった。
「おいおい、開けねーんなら俺が開けるぜ?」
「うおわぁぁぁああ!!」
軽々と本田の手の間から封筒を抜き取って、急かすように封の端を破った。それに本田が大声をあげる。少し端に切れめが入ってしまっているのを見た途端、世界の終わりのような声を出して地に崩れ去った。
「俺の…俺の初ラブレターが…」
「お前ぇが早くしないのが悪いンだろ?」
城之内のあっけらかんとした悪びれのない物言いに怒りが込み上げるが、本田はそれを封筒にぶつけた。こうなればと、勢いよく封を切ったのだ。城之内から歓声が上がる。
これで果たし状だったら面白いのにな、という無責任な発言を華麗に無視して、本田は勢いに乗ったまま封筒から便箋を取り出し、己の気が変わらない内にと折り目を正した。
「うおぉぉおお!刮目せよ!俺!」
叫び声と共に一旦目を閉じ、力強く開く。

——本田君へ
目が、その文字から吸いついて動かない。本田君へ。本田くんへ。ほんだくんへ。
やわらかな少女の声(妄想)が、本田の頭を木霊していく。うららかな春の日差しのように全身が包み込まれていた。自分よりずっと丁寧で整っているのに、どこか丸みを帯びたその文字が、本田の網膜に一人の少女の姿(妄想)を映し出して満たしている。
「…本田君へ」
「いいからさっさと先読めよ」
「お、俺のラ、ラブ、ラ…っ手紙なんだからいいだろ!」
「ラブレターな」
一度集中するとすぐに横やりを入れられ、思うように感動に浸れない。本田は今日ばかりは城之内の無神経を恨んだ。その間も、早く早くと、城之内は先を促す。
「わかったよ!」
本田はどっしりと椅子に腰を下して、手紙の名前より下の文章を目で追い始めた。

『ご迷惑かもしれませんが、こうして突然の手紙を差し上げたことを、どうかお許しください。私は二年のと申します。本田君とは一年生の時に美化委員会でご一緒したことがあります。覚えていらっしゃるでしょうか。
お時間を取らせるのも忍びないので、挨拶は省略させて頂きます。今回私がお手紙を書いたのは…』

椅子が後ろの机にぶつかって、斜めに傾いたまま体勢を保っている。本田が、勢いよく立ちあがったからだった。
手紙を読む手が、ぶるぶると震えている。今にも破りかねないほど、便箋は握り締められ、手汗が滲んでしっとりと濡れている。
「おおお俺には勿体ない大和撫子じゃねぇか!」
なぁ城之内、これは夢か?!と振り向いた本田の顔がその距離10センチほどしかないことに城之内は奇声を上げるが、それすら気にしないほどに本田は興奮しているらしい。
「とにかくだな、落ち着け本田」
城之内は暴走の領域に入ってきた親友を宥めると、椅子を元に戻し、無理やりその上に尻を乗せる。
「お前、手紙全部読んでねぇだろ」
「あ、ああ…けどよ」
「いいから、初のラブレターなんだろ?」
そう言って、続きを促した。

『今回私がお手紙を書いたのは、本田君にお願いがあったからです。』

「お、お、お!来たぞ本田!」
「いいとこなんだから黙っててくれ」
城之内が本田の肩をめいっぱい叩いた。振動で手紙の文字が揺らいで見える。本田は目を細めて続きを読み取った。

『どうか、私と付き合って貰えませんか』

「…………長かったな…俺…」
顔を天、もとい天井に向けて感慨に浸る本田の手から、城之内は手紙を覗く。便箋には、まだ続きがあった。斜めに読むなり、乾いた笑いが零れる。
「おい本田、これ…」
どう言ってよいのか分らないまま、城之内は本田に便箋のその部分を指差した。

『本田君を見ていると、いつもどうやってその髪をセットしているのだろうとか、どれくらいの時間をかけているのだろうとか、お風呂に入った後はどうなっているのかとか、体育でも一糸乱れない頭を見ていると、もう気になって夜も眠れなくなり、友人に相談したところ、恋ではないかと思い到りました。ですので、迷惑と承知してお願い致します。』

——私と付き合って貰えないでしょうか。

無言というより、出かかる言葉を無理やり押し留めていると言った方がいいかもしれない。本田はこの手紙に、城之内は城之内で本田に対して、言いたいことが山ほどあったが、今は何も言わないことが一番のようだった。
ひとつだけ、二人の頭を共通して占める言葉があった。

春とは何か、ということだ。



(ほのぼの100題 2/34/仲間)
10/04/01 オムニバス