一目見た時から、クロウとは付き合っているのだと思っていた。
花がすみ恋がすみ



「へっ?!」
素っ頓狂な悲鳴を上げて、私は遊星とクロウを交互に見た。クロウは机に寄っかかってお昼のサンドイッチを頬張ったまま、アホみたいな顔で遊星を凝視している。
「違うのか?」
休憩にと淹れたコーヒーを口元に置いて、遊星は意外そうに眉を上げた。淹れたての温かな湯気がゆらゆらと漂うにつれて、私の思考もゆらゆらと揺れる。吸い込んだ香ばしい香りは、頭をすっきりさせるどころかパンパンに膨らませて私をショートさせた。
「ち、違うに決まってんだろ!何勘違いしてんだ遊星は!」
クロウの噎せるような叫びにはっと意識を取り戻して、うんうんと、大きく首を縦に振る。私の必死に同調する様子に、遊星が飲みかけたカップを口から離して、小さく「そうだったのか…」と呟いた。それからすまなかったと告げて、漸くコーヒーを口に含む。それが思いの外苦かったのか、ソファーから腰を捻って、デスクの上に散らべてあったミルクをごっそりと掴んだ。
「まさか、ブルーノもそう思ってんじゃねーだろうな…?」
ここにはいない人間を探して、クロウがきょろきょろとガレージを見回した。その隣では、苦すぎたらしいコーヒーが白く濁っていくにつれ、ミルクの空がテーブルに積み重なっていく。
「いや、全員がそう思っていると思う」
最後の蓋を開け終えると、クロウの問いに答えながら、遊星は満足そうにカップをかき回した。
「なんてこった…」
床にずるずると蹲ってしまった、正反対なクロウの声が響く。
クロウと私は付き合っていて、それは勘違いで、遊星だけかと思ったらチームの皆が誤解していて、それで皆といえばもちろん。まずいな…というクロウの呟きと先ほどの会話を反芻しながら、漸く回転し始めた頭が、とんでもない事実を叩き出した。
「えっ、ブルーノが!?」
「お前はおせーんだよ!」
叫び声と共に、呻きにも似たため息がクロウと私の口から漏れた。遊星は誤解もすぐ解けるさ、と呑気なことを言って、すっかり甘くなったコーヒーを啜っている。そういう問題ではなかった。


「どーすんだ馬鹿!」
「それはこっちの台詞でしょ大馬鹿!」
クロウの部屋にどたばたと慌ただしく滑りこんでドアを閉めた途端、互いの口から怒声が飛び出す。クロウの手に握りしめられたサンドイッチが滑稽だ。それが更に握りつぶされるように、ぐにゃりと手の中で圧縮された。
「元はといえば、お前が俺に協力しろって言ったからこそ、心優しいクロウ様がこんなしち面倒臭いことしてやったんじゃねーか!」
「その有難い協力のお陰で勘違いされてたら元も子もないでしょ!」
「それは俺だけの責任か!?…って、んなことよりとにかく誤解を解く方が先だ!」
クロウも私も本気で怒っているわけではないが、どちらかと言えば焦りのほうが正しい。そもそも、私はクロウとは元から知り合いではあったが、チームメンバーとは最近話すようになったばかりだった。仲がいいと思われるのが、自然だったのかもしれない。
「ブルーノに誤解されたままじゃ、死んでも死にきれない…」
「えっ、僕の話?」
背後から突然聞こえた声に、ぎょっとしてドアを振り返る。今起きましたと言った格好で頭を掻いたブルーノが、部屋のドアを開けて覗き込んでいた。どうやら騒ぎ声に目を覚まして、この部屋の様子を見に来たらしかった。一瞬にして体がガチガチに凝り固まった。
「いっいや違うの!なんでもない…から…!」
錆びたみたいに、首が軋んで動かない。満面の笑みを浮かべようとしているのに、頬が痙攣して上手く笑えなかった。私のその顔を見たクロウが別の意味で顔をひきつらせている。
「そう?」
そう言って首を傾げたブルーノは、一度眠たげにあくびをすると、
「二人とも本当に仲がいいね」
と間延びした声を残して、ドアも開けっ放しに階段を降りていってしまった。違う。ブルーノ、違う。眠気の残る穏やかな笑顔が悲しみと共に頭にこびりつく。
ドアを見つめたまま、言葉もなく首をゆるゆると振っている私に、クロウが「馬鹿」と一言零した。

クロウと私は、サテライト時代からの知り合いで、所謂悪友という間柄になるらしい。たまに会って情報を交換したりする程度で、特別親しいというわけでもなかった。しかし、今はこうしてガレージの人間に恋仲と勘違いされるまでつるんでいる。その事実に変わりはなかった。
初めてこのガレージに訪れたのは、もう半年ほど前だ。まだ雪も降り始めの冬の頃だった。壊れた家電製品をアパートから運び出そうとしている時に、配達中のクロウと再会した。遊星ならすぐ直せるかもしれねぇと、そう言って、仕事途中にもかかわらずガレージまで案内してくれたのが遊星との初対面だった。そして、同じくブルーノとも。
「俺から否定しとくからよ、お前もそろそろブルーノにアプローチでもしてみたらどうだ」
アプローチ。呟いて、ぐっと息を呑む。
初対面でその優しさと雰囲気に一目惚れし、クロウに後生だから私の恋路に協力してくれと頭を下げてまで頼んだのは私だ。それが、既に木々も芽吹く春となった今でも、事あるごとにクロウや遊星の陰に隠れて、ブルーノとは少しも進展できた気がしない。だからこんな面倒な勘違いをされてしまったのだろう。きっとクロウに言ったら、面倒なのはこちらの方だと顔を顰められそうだが、数々のチャンスを作ってくれたにも関わらず、全てから羞恥のあまり逃げ出したことを思い出すとぐうの音もでない。
「私、頑張ってみる」
決意するように膝の上で拳を握り締めると、「今度こそ頼むぜ」と義務に近い言葉が掛けられた。


そしてチャンスは次の日に早速訪れた。でも今回はクロウではなく、偶然が機会をもたらした。
「え、みんな行っちゃうの?」
いつもどこかしらをふらふらしているジャックを除いて、私がいるときは遊星とクロウのどちらかが必ずガレージにいたものだが、今日に限っては二人とも仕事で出かけてしまうらしい。私の後ろでブルーノが「気をつけてね〜」などと手を振っている。一瞬で不安が胸を支配した。世界がぐらりと回る。
思わず、ブラックバードを路地へ押し出すクロウを小走りに追いかけた。
「ク、クロウ」
「あ?」
隣に立って半ば縋るように腕を掴むと、小さく馬鹿野郎と頭を小突かれた。
「昨日俺が誤解を解いたばかりなんだぞ?」
「う、いや、でも」
助けて欲しい。しどろもどろになりながら、クロウの服をぎゅうぎゅう掴む。仕事の時間もあるのだろう。あのな、とクロウが呆れたように零した。
「折角の二人きりになるチャンスじゃねぇか。ブルーノ以外誰もいないなんて、中々ないぞ」
「そ、そうだけど…」
何を話したらいいかわからない。消え入るほどか細い声が出た。協力しろと迫っておいて、自分がどれだけめちゃくちゃなことを言っているかわかっているが、いざその時になると不安は消し去れなかった。
クロウがため息をつく。あ、と思う間もなく振り返って、ブルーノの名を呼んだ。
「ブルーノ」
「ん?」
ガレージのD・ホイーラー全員が外出して磨くもののなくなった寂しさからか、自分のカブを熱心に磨いていたブルーノが顔を上げて、「何?」とこちらへ歩み寄ってくる。慌ててクロウから手を離して、どこに置いたらいいかわからない視線をきょろきょろと彷徨わせた。
「お前今日暇か?」
「そうだね。D・ホイールがないから調節もできないし…」
オイルで汚れた布で鼻先を拭きながらブルーノが答えると、クロウが満足そうによし、と声を上げた。
「それじゃあ二人でガレージの掃除やっててくれよ」
「ここの?」
「ああ、一階だけでいいんだ」
なんか最近かび臭い気がしてよ。ああ、そうだね。などと二言三言交わした二人は、既に納得したらしく、私を置いて逆方向にそれぞれ背を向ける。会話ごとにクロウとブルーノを振り向いていた振り子のような私の首は、行き場をなくして正面を向いてぎこちなく停止している。
「それじゃあ宜しくな!」
最後に振り返ってにやりと笑ったクロウは、引き止められた時間を取り戻すが如く、エンジンをふかして颯爽と路地の角へ姿を消していった。止める間もない。行ってしまった。呆然と砂ぼこりに佇む。
、どうしたの?」
ガレージの奥から声。鼓膜まで音が響くほど心臓がどっきんと鳴った。今、なんて言った?。間違いじゃなければと。いや、いつも呼ばれているけれど、でも、今は、ふたりきりじゃ。肌が粟立つ。ぽかぽか気持ちいい日差しから逃げるように後退って、ガレージの中へ入る。そしてやはり錆びたロボットよろしく屋内へ体を向けると、バケツを抱えてきょとんとこちらを見つめているブルーノと目が合った。
「掃除用具はここに入れてあるんだ」
楽しそうに朗らかな笑みを浮かべられて、平静を保てるわけがない。でも、折角クロウが与えてくれた共通の話題だった。
「い、い、今いま…いく…」
上手く喋れているかは、わからない。


クロウの言うとおり、確かに四隅のカビはひどい。棚の裏には黒々としたカビが蔓延っていて、これはカビ取りだけで数時間が送れそうだと思ったほどだ。要らない布の端布を使った雑巾で、緊張を発散させるようにゴシゴシと一心にこすっていると、突然「ごめんね」というブルーノの声が掛けられた。
「え?」
斜め後ろに顔を向ける。デスクの下に潜り込んでいる長身が掃除の手を休めた。
「クロウに言われてね。は僕達と仲良くしたいだけだって」
「へっ…?」
「あの、」
話の核心を掴めていない私の声色に、ブルーノが話しづらそうに言葉を濁らせた。すっかり作業の手を止めて、私は緊張に身を固くしながら、机の下のブルーノの言葉を待つ。下半身と背中しか見えないからか、自然と視線を彼に合わせることが出来た。
「クロウとは付き合ってないって…その、本当…?」
聞こえた途端、盛大に首を縦に振る。もぎ取れるんじゃないかと思うほど数回振った後で、ブルーノはこちらを見ていなかったことに気づき、「うん、うん…!」と絶対ないという意思をその力強さで伝えることを試みた。
「ぜ、絶対ない!」
不安になったので、一応付け加えると、
「そっか…」
ブルーノはぽつりと呟いて、何か続くのかと思って息を詰まらせて待っていたが、それっきりその話題は終わってしまった。気まずいような気がして落ち着かず、肩越しに何度もブルーノを覗う。どうして確認したのだろうか。クロウが昨日誤解は解いたと言っていたけれど、やっぱり否定が足りなかったんじゃ…と思った所で、さっきクロウに抱きつかんばかりに引き止めていたことが頭を過ぎった。もしかしたら、あれのせいなんじゃ。
カッとアルコールを呑んだみたいに全身が燃える。ちゃんとブルーノに伝わったのかとますます不安になりながら、一心不乱にカビを拭きとることに没頭した。やることがあるだけ、まだ間が持っていると思いたかった。少しずつ、隅へ移動していく。
「あたっ…!」
手元ばかり見つめていたからか、小棚の存在を忘れて、おもいっきり頭をぶつけてしまった。次いでばらばらと上に乗っていたものが降り注ぐ。
「だ、大丈夫?
ブルーノは机から窮屈そうに這い出すと、私を振り返って、それから「あ」と頼りない声を出した。
「あ、あの……」
「え、な、なに…?」
真っ赤な顔がわなわなと震えて、何かを訴えるように、人差し指をゆっくり私に向けている。
「そ、それ、僕のパン…ツ…」
耐え切れずに目を逸したブルーノにつられてばっと手元を見た。握り締めている柔らかい感触を雑巾かと思っていたが、落ちてきた拍子に間違えて掴んでしまったらしい。顔に一気に血が集まるのを感じた。血がのぼったせいか、耳鳴りで頭の中が満たされる。何がなんだかわからずもとっさに立ち上がって、腕を振り上げた。
「ご、ごごごごごめんなさいーーー!」
きっと綺麗に干したのだろう、シワのないブルーノの下着をぐしゃぐしゃに丸めて、あらん限りの力で彼の元へ投げる。ナイスピッチ。
「わっ、僕こそごめん…!!」
そしてナイスキャッチ。
恥ずかしさに下らない解説までが頭を流れた。このガレージに緊張は増すばかりだ。

男所帯は危険だ。ぼんやりとそんなことを考えながら、浴室で雑巾を絞って、頭を左右に振る。たかが下着だというのに、順序を間違えて一線を超えた気持ちになるのはどうしてだろうか。もう忘れよう。成り行きではあったが、子供たちのものと一緒にクロウの下着を洗ってやったこともあったではないか。そう思って、気分を持ち直すために笑顔を浮かべる練習をしてみるも、浴室の鏡に写る顔はリンゴのごとく赤らんでいた。
「…?」
それにブルーノの反応。彼までがどこかぎこちなくなっているのが、私の緊張に拍車をかける。これではクロウ達が帰ってくるまでに、心臓が限界点を超えてしまうだろう。心にもきっと、筋肉痛はあるはずだ。
「よいしょ、っと」
そんなことを考えながら新しく水を入れたバケツを持ち上げようとすると、背後から影が覆い被って、両手からバケツが軽々とさらわれて行った。相手は一人しかいなかった。
「僕が持つよ」
「あ、ありがとう…」
気恥ずかしそうに笑って、ブルーノは狭い風呂場をくるりと反転する。
しかし、それはつかの間の幸せだった。優しさで和んだ少しの隙に、奴らは入り込んできた。油断という魔物は、見計らったように私達に襲いかかってきたのだ。
「わっ」
「えっ」
一瞬のことだった。何が起こったのかはわかるのだが、言葉がでない。私も、ブルーノもだ。
「…だ、大丈夫…?」
漸く絞り出した声に、風呂場のタイルにキスをしていたブルーノが、小さく呻き声を上げた。ブルーノに驚いて転んだ私は腰を少し濡らしただけだったけれど、バケツごと前からひっくり返ったブルーノは、頭から上半身がびしょ濡れだ。沈黙が落ちる。
身じろぎをするのも戸惑われるほどの静寂に、先に口を開いたのは私だった。
「と、とりあえず…着替えよ…うか?」
「うん…」
水浸しの風呂場に、消え入りそうな私の声が響く。消えたい。本当に消えてしまいたい。微かに頷いて情けなさそうに背を丸めて座り込むブルーノを見て、この場から水と一緒に排水口に流れてしまいたいと思った。ブルーノはもっと、そう思っているのかもしれない。
またもや事件だ。

カビの臭いを流すために開けた窓から、朗らかな日差しが差す。すぐにどうでもいいTシャツとジーンズに着替えたブルーノは、申し訳なさそうに頭を掻いて階段を降りてきた。頭は軽くタオルで拭いただけらしく、まだ着替えたばかりのシャツにしっとりと染みを作っている。
「風邪引くよ…?」
「大丈夫、今日はあったかいし」
のんびりと笑って、タオルを渡してもそんなことを言って水滴を滴らせている。二度の失態から遠慮をしているのだということはなんとなく私にもわかった。だから、要らぬお節介が働いてしまったのだろう。
洗面所に放置されていたドライヤーを持って、ブルーノに椅子へ座ってもらう。洗面所から出てきた所で気づいたのか、「本当に大丈夫だって」とドライヤーを避けるように身を翻したので、自分でも驚くほど積極的な行為に出た。無理にブルーノに椅子に座ってもらって、私が乾かそうというのだ。
「い、いいって、僕は自然に…」
「春はそうやって油断するから危ないんだよ」
もうすっかりやる気になった私は、もぞもぞと振り返ったブルーノを諫めるように前を向かせる。目的を持つと強くなるとはこういうことらしい。きっとクロウはこれを狙って掃除を言いつけたのだろう。状況は全く違うけれど。
ぶぉん、と回転する音で、熱風が起こる。水気で全く靡きもしない髪に手を差し込んで、少しだけ鼓動を早めながらブルーノの髪を乾かした。濡れた髪の冷たさとは反対の、指先から伝わる皮膚の温かさがじんわりと染みこむ。思えば、ブルーノにまともに触れたのは、これが初めてじゃないだろうか。
意識した途端、急に忘れていた緊張が蘇った。どきどきと胸が高鳴る。触れた頭も、髪も、首筋も、背中も、全てが無防備に私の目の前に晒されている。いつも見上げている頭が、今は下にあるのも新鮮だった。大きな体躯で椅子にちょこんと収まる猫背が、窮屈そうに時折身じろぎをする。つむじを眺めながら、顔がほんのりと赤らんだ。
「ブルーノ、あ、熱くない…?」
「あ、えっと、気持ちいいよ」
返答に、ほっとしながら襟足を乾かす。ふと、触れた首筋が熱かった。ドライヤーの熱かと思って、また確認してみたけれど、やはり熱い。開け放った窓を見た。随分体を濡らしてしまったから、風にあたって冷えてしまっただろうか。心配になった。原因は私にもある。
「ね、ちょっと熱があるんじゃ…」
ドライヤーを一旦切って、顔を覗くために回り込もうとした私の目の前に、腕が伸びる。ブルーノの腕だ。ぴん、と横に伸ばされた逞しいその腕が、居心地悪そうに微かに震えている。お腹の辺りにぶつかってしまったその感触から慌てて身を離して、俯いたブルーノを背後から覗った。ブルーノはそれっきり動かない。
「ブルーノ…?」
不安に思って名前を呼ぶ。すると、ブルーノの声が重なった。見ないで。静かに放たれた。もう一度、囁くように。見ないで。
「頼むから……」
ブルーノの腕がゆっくり下ろされる。一歩、僅かに後ずさった。私は無言で身を翻して、ドライヤーを握った。だけど震えて、手に力が入らない。ブルーノも同じなのかもしれないと、不意に思った。逞しいはずなのに、私の体に触れたのは、震えて弱々しい腕だった。それよりも、なによりも。
熱を持つ。たくさんの熱が私に集まる。ドライヤーのスイッチを入れた。また暖かい風が吹く。見ていない。私は見ていないのだ。必死に頭をその単語で埋め尽くした。斜めに見えたブルーノの顔。茹でたように真っ赤で、困惑したような言い表しようのない表情。それらを全て私は忘れなければならない。だって見ないでと、ブルーノは言ったのだ。だから私は、なんにも見ていないのだ。

首筋が熱いのはブルーノだけではない。窓から入る少し冷たい風が、少しでも平静を保たせようと、私の首を流れていく。
温かい春の日差しで、きっと霞んでしまうのだろう。自分の気持も、ブルーノの気持ちも。温かさに包み込まれて見えてこない。でもこれがきっと春で、そして恋なのだ。
あと少し。掃除を終えて、後片付けをして。そうしたらコーヒーが待っている。遊星も顔を顰めるようなコーヒーを飲めば、何かが見えてくるだろうか。苦味でこの霞も、消えてしまうだろうか。
ドライヤーを冷たい風に変えて、さらさらと流れるブルーノの髪を梳きながら、この熱はいつ冷めるだろうかと考えた。でも多分、冷めなくても良い熱だ。確信的に、そう思う。

向かい合った時に誤魔化せないように、ミルクを隠してしまおうかといたずら心に思った。ちょうどいい熱を持ったまま、この霞が早く、晴れてしまうように。




夏企画リクエスト'10『相互片想いでもどかしい話』
11/10/05 短編