どうしたって勝てないのだ。
HE CAN'T BECOME A HERO — 鬼柳京介
またやっている。まどろみから意識を現実に引っ張り出して、その音が近づくのをじっと待った。汚れたシーツを頭まで被って、ベッドの上で丸くなる。さぁあと少し。10秒。5秒。
「こら鬼柳ー!いつまで寝てんのーー!!」
怒鳴り声と共にドアが開け放たれた。アルミ鍋の底を打つ安っぽい騒音が絶えず鳴らされ、部屋をひっくり返さんとばかりに響いている。
「鬼柳!どうせまた起きてるんでしょ?!」
鍋の底を叩いていたのだろう。お玉の丸底でこつこつと頭を軽く叩かれるが、そんなもので起きるならば最初からメンバーの元へ顔を出していただろう。しかし俺の望んでいるものはそんな場所にはない。
この先の展開を予想して、思わず口元を緩めてしまったのがいけなかった。目ざとくそれを見つけたが、シーツに向かって手を伸ばす。
「往生際が悪い!起きろー!!」
体に巻き付けるように被せたシーツを勢い良く取り払われた。覗いた俺の顔、そして騒音の元凶の顔。ぱちりと目が合って、期待しながら、目覚めの眠気まなこで可能な限り最高の笑顔を浮かべる。
「おはよう」
「おそよう、よ!」
朝一番に見る顔は、今日もやはり怒り顔だ。
「お前はホント、馬鹿だなぁ」
「こういうことに関しては尚更な」
一部始終を聞いていたクロウとジャックの開口一番の言葉を受け止めて、階下へ降り立った俺は軽く肩をすくめてみせる。
「満足できねぇ…」
ため息をつきながら、ボロくさい色の落ちた冷蔵庫を、扉を引っ剥がすように開け、中から極限まで薄めた麦茶を取り出す。コップに注いで覗き込んだ色は心細い。また投げるように元に戻し、足で扉を閉めようとすると、
「鬼柳!それもう壊れかけなんだから、大事に扱ってよ!」
「げっ」
振り向けば朝食皿を手に持ったが、やはり怒った様子で俺を睨みつけている。そんなに見つめるなよ、とでも言ってみたいものだが、いかんせん、この冷蔵庫に関しては再三の警告を受けているために、切り抜けられそうにはない。
頭を掻きながら悪いな、などと軽く謝ってみれば、「気をつけてよ?」と眉間にほんのりしわを寄せて、念を押してテーブルに向かっていく。背がリビングの開け放たれたドアの向こうに消えたのを見送って、ようやく腕を下ろす。
俺たちの様子を見ていたクロウとジャックが、無念そうに、はたまた呆れたようにため息を付いた。
「これがチームサティスファクションのリーダーの姿かと思うと、俺は悲しいぜ…」
「あいつは確かにしっかりしてはいるが…鬼柳、お前は情けないにもほどがあるぞ」
「うるせぇよ!」
アジトの廊下で散々言いたい放題言う二人に怒鳴ってから、リビングのを伺う。どうしてこうも上手くいかないものかと、首を捻りながら、席を整えるの姿を目で追った。
そもそも俺とは好き合っているはずだ。それだというのに、どうにも中々思うように恋人らしい雰囲気というものにならない。鬼柳鬼柳と日がな何度も呼ばれる名前に、好かれているのは分かるのだが、俺としてはもっとこう、甘い…とまでは行かずとも、普通に可愛らしく接して欲しいのだ。いや、それより何より、もう少しでもいい。優しい態度で接してくれたり、そして甘えてくれるならば尚良い。
そんな期待と希望を抱きながら毎朝が笑顔でシーツをめくって、あわよくばキスなんぞも落としてくれればと棚ボタまでをも待ち望んでいるにも関わらず、今日日成功した試しは一度もない。
「俺の一体何が悪いのか…」
「悪いってことは分ってるんだな」
呟いた言葉に帰ってくるのは、野郎の冷めた声だけだ。叫びたい衝動を抑えながら項垂れていると、肩を掴まれる。
「鬼柳」
それまで黙っていた遊星が、から目を離し、振り向いた俺の目を捉えた。
「好きだと言ってみたらどうだ?」
「好き…?」
遊星の言葉に、クロウが名案だとばかりに、ひとつ口笛を吹いた。
思えば俺はに、好きだと一言でも言ったことがあっただろうか。思い当たることがないどころか、言う言わないと考えた記憶すら浮かんでは来ない。間違いないのはこうして考えるほどには、その言葉を口にしていないということだ。
プラスチック製の皿に盛りつけられた、スクランブルエッグとソーセージをつつきながらを見れば、この些細な食事をまるで御馳走のように噛み締めている。その笑顔の一端でも俺に向けてはくれないだろうか、とじっと見つめてみるも、集中力は全て手元の一皿に注がれているようだった。
拾ってきたにしてはよく磨かれたフォークでソーセージを思いっきり一刺しし、息を吸い込んだ。
「!」
丸テーブルを囲んだ全員の手が止まり、視線が俺へと注がれた。ひときわ真っ直ぐ見つめる瞳。が卵を口に含めようとした姿勢のまま、俺をまんじりと見つめた。
「なぁに?」
「好きだ」
静寂が一瞬間。次いで急に叫び声が鼓膜を震わせた。それもの声ではない。野郎の野太い声が重なるように上がった。テーブルがぐらぐらと揺れて、限りなく水に近い麦茶の入ったコップと食べかけの朝食が乗った皿が、一緒に左右に流れる。
「あ、危ねぇだろ!」
急に立ち上がったはクロウの注意も聞いちゃいない様子で、ずっと合ったままの視線を真顔で捕らえるように見つめ返す。ぐんぐん開いていくの黒い瞳に、吸い込まれるのではないだろうかと思い始めた頃、握りしめたフォークがカランとコンクリートに落ちる音がして、の顔はみるみる真っ赤になっていった。
動揺したのは俺だ。。名を呼ぼうとして唇を動かせば、は落としたフォークも零した麦茶も気にもせず、自分の椅子に脛をぶつけて呻きながら、逃げるようにリビングから走り去っていった。
テーブル四方に沈黙が落ちる。皿とコップをそれぞれ両手に抱えた大の男四人が、呆然と戸口に顔を向けていた。
「…おい、あれ」
「ああ…」
呆気に取られたクロウとジャックが呟く。余程意外だったのだろう。の去ったドアを首だけで90度振り返っている二人は、居心地の悪さを感じてはいないらしい。
「遊星」
俺は信頼すべき友の名を呼んだ。ソーセージの刺さったままのフォークを掲げてぼんやりしていた遊星は、俺と目を合わせると、頼もしく頷いた。
「礼に俺の落としたソーセージをやるよ!」
「それは遠慮しておく」
皿の上のものを全て口に放り込んで、俺は追いかけるためにリビングを駆け足で飛び出した。
あの真っ赤な顔。首筋からほんのり桃色に染まって、そして少しずつ、果実が実るみたいに徐々に赤みが増して行く肌。あれ程あたふたと慌てふためくなど、今までに見たことがない。そうだ、俺が望んでいたのは、俺が好いてたまらないではなく、さっきのような俺を好いてたまらないなのだ。俺が好きで顔を赤らめて、俺が好きでフォークを落としてしまい、俺が好きで思わず逃げてしまうような、そういう仕草を見たかったのだ。
「まだまだ俺の満足はこれからだぜ!」
階段を二段飛ばしで駆け上がり、の部屋へと向かう。リビングからクロウが、やれやれといった風に俺の様子を覗き込むように伺っていたが、その光景を記憶から一瞬にして抹消した。今記録するべきはただのみで、その他の情報など一々頭に入れていたら、大事な記録を叩き込めなくなるじゃねーか。
ドアノブを引きぬく意気で開け、中に飛び込む。がその音に驚いて、ビクッと肩を揺らした。
「、好きだ!」
「……っ!」
息を吸い込みきれずに、面食らった顔でまた顔を真っ赤にする。近づけば「イヤッ!」と叫びながら俺の鳩尾にストレートをぶっ放して、俺が駆け上がった階段を転げるように降りていく。痛む腹を抱えて窓枠から足音を追う。身を乗り出して覗けば、がアジトからぐんぐん離れていく。全力疾走というやつだろう。構わず肺を空気でいっぱいに膨らまし、大きく口を開いて、
「好きだーーーーー!!」
と叫んでやった。崖下の民家の屋根も滑って、きっと海へでも届くだろう程の渾身の叫びだ。肺が空っぽになって息をついて見やると、すっかり小さくなったが両手で頭を抱えていた。
「もうイヤーーーーッ!」
転がるパイプに躓いてよろける後ろ姿が、やけに愛おしい。心配して様子を見に来た遊星が、浮かれた俺をじっと見る。
「やり過ぎだろう…」
「お前には分からねぇよ」
にやけた口元は締まらない。の真っ赤な顔が冷めないように、俺の中でくすぶる熱が簡単に治まるはずもなかった。あのの、ひとっつも甘い雰囲気なんて作らせなかった、しっかりを通り越して鉄壁のの照れた表情など、滅多に見れるものではないのだ。いつも俺が抱えているたった一言であいつが変わるというのなら、いつまでだって言ってやろう。嘘でも冗談でもなく、俺はに好かれたくて、そして俺はが
「好きだ」
「俺の顔を見て言うのはやめてくれ、鬼柳」
目の前に遊星の心底嫌そうな表情が広がった。
丁寧に研いだ包丁の、まな板を打つ規則的な音が部屋を満たす。何処に行ったのか帰って来ないと心配していたというのに、は日もとっぷり暮れてから大きなダンボールいっぱいに詰め込まれた食材を抱えて帰ってきた。知人の菜園から安く購入してきたらしい。今日はナス炒めだと、食事のこととなるとすぐに嬉しそうに顔を綻ばすだが、期待して見つめる俺の視線を故意に避けて、台所へ歩いて行ってしまった。流石に怒らせてしまったようだった。帰宅後の甘い風景を期待していたものだが、の方はすっかりいつものお怒りモードに戻ってしまったらしい。
暫くリビングで遊星お手製のラジオと、クロウが拾ってきた2、3日前の新聞から情報を仕入れていたが、手持ち無沙汰になるとどうにも台所のが気になって仕方がない。ジャックが止めるのも聞かずに、ふらりと部屋を出る。
トントントン。トントントン。軽快に跳ねるまな板の音と一緒に、香ばしい匂いが鼻孔をくすぐる。その匂いに誘われるようにして台所の戸口へそっと立つと、が味噌汁を掬って味を確かめていた。小皿に流した味噌汁の匂いを嗅ぐは、溢れるような笑みを浮かべて、幸せそうに微笑んでいる。
「お……」
おい、と声を掛けそうになった。掛けても良かったというのに、何故か躊躇われた。は知っているのだろうか。俺が毎朝起きないのも、怒り顔も嫌にならない理由も、これだけ好きだと言い続けたわけも。知るはずがないだろう。俺とは好き同士ではあるが、俺の方がを好いて仕方が無いのだ。普段言わない言葉を、追いかけ回すようにして繰り返せば、からかわれていると思われても仕方がなかった。
俺は少しでも好かれていて、を赤らめさせることの出来る存在なのだと、それが分かっただけでも満足だ。あとは期待と希望を抱きながら、シーツに包まって永遠に来ないかもしれないのキスを待っている方が、ずっと性に合っている。少々情けなくもあるが、好いた女に起こされるというのは、中々に捨てがたいシチュエーションだった。
夕餉の用意が整った席につき、五人でテーブルを囲む。が全員のコップに、今朝より薄くなった麦茶を注いで回る。相変わらず避けられているのか、一番最後に差し出されたコップを受け取って、ついでにの手も握りしめた。ビクリと身体が震えたが、先ほどのように真っ赤にはならない。覗き込んだ先では、反対に口を引き結んで、微かな皺を眉間に作っている。
「…」
多少なじられるかもしれないが、好きだと言って、今度はふざけたように笑えば、いつものように機嫌を損ねた振りに戻ってくれるだろう。いざ平穏な日々へ!
思っての手を強く包み込んだ時だった。
頬に柔らかい感触。お玉でも拳でも叫び声でもなく、頭部でも鳩尾でも鼓膜でもない。頬にただ、柔らかな温かみ。
「鬼柳!冷める前に食べてよね!」
「へっ、お、おう…!」
今のは一体何だったのか。どこか甘く胸を打つ頬の体温。の視線が気になって勢い良く味噌汁を喉に通す。しかしまぁ、いつものに戻ったようで、俺の明日の希望的観測は守られそうだ。
ちらりとを伺えば、正面からひたりと目が合う。途端に飲み込んでいた味噌汁の豆腐やら油揚げやらを喉に引っ掛けて、大きく噎せた。一体全体どうしたというのか。俺が好きだと一言も言っていないというのに、の顔は真っ赤に染まっていて、箸を持つ手もちぐはぐで、何度も何度もナスを掴めず皿の上に転がしている。
今更だが、妙に静かなことに気づいた。デュエルだ拾い物だ、食費だ、仕事だのと騒々しいはずの食卓が、箸の音だけの静寂に満ちている。初めて四人を見渡した。遊星もジャックもクロウも、俯いたまま一様にナスを弄んではぽろりと皿の上に落としている。こいつらはいつから箸の使い方を忘れたのだろうか。思って俺もナスを掴んだが、箸から見事に皿の中に戻っていった。
さてどうしたことか。こんなに静かなリビングだというのに、どこか落ち着かない。何故か胸がはやってが気になる。頬がそわそわして思わず触れたくなり、慌ててナスを掴む作業に没頭する。頬の柔らかな感触。あの時鼻腔を掠めたのは何の香りだったか。嗅いだ覚えのある、身近な香りだ。
ぽろりぽろりとナスは皿の上を踊る。掴んでも掴んでも箸を滑っていく。もう降参だ。きっとこれ以上は誤魔化せそうにはない。
「」
今日だけで、幾度名を呼んだのだろう。ナスから外された視線と真っ赤な肌を捉える。
「お前はどうなんだ」
は意図を探るように、俺を見つめたまま数秒間黙り込んでいた。ゆっくりと指先が持ち上がる。それが静かにの頬に触れて、俺に伝えるようにぎこちなくなぞった。瞳が揺れる。すると、はそのまま箸を放り投げて、額を叩きつけながらテーブルの上に突っ伏してしまった。それにつられるように、遊星たち三人が仄かに染まった顔を振って、弄んでいた箸でナスを突き刺す。
「…お前らも大概うぶだな……」
言って持ち上げたコップに映った自分の顔が目に入った。人のことは言えたものではない。誰よりも、にですら負けない赤ら顔を、遮るように摩った。
俺の気持ちなんざ誰も分かっちゃいない。でもさっき触れたのは、お玉でも拳でも叫び声でもなく、頭部でも鳩尾でも鼓膜でもない。それだけは確かなのだ。
「頬じゃ満足できねえぜ…」
突っ伏したままののつむじがぐぅ、と呻く。今度こそ俺は、明日の朝を、期待してもいいのだろうか。
(ほのぼの100題 2/047/いたずら)
11/08/18 短々編
11/08/18 短々編