早朝の陽光は、空を覆う薄い雲をすり抜けて、ガレージを照らし出している。冬の光は何故こんなにも目を射抜くのだろうか。
強い光を反射したカウルに、ガレージを温める、心地よい風が吹き抜ける。ふと、遊星はブラックバードの間から顔を上げた。
「おい、何か臭わないか」
この遊星の一言に、ブルーノがパソコンから目を離して鼻をひくつかせた。
「そう言われてみれば…焦げたような」
「ああ、俺も思っていたところだ」
傍らでデュエル誌を手に開いていたジャックもガレージを見まわすと、遊星が小さく声を上げる。
「煙が」
「なに?」
ジャックが遊星の視線の先を追った瞬間、ガレージに大きな声が響き渡った。次いでカップの倒れる音。そして短いショート音。
「あああああぁぁぁああーーー!!!」
声の主を仰ぎみれば、戸口で顔を真っ青にしたクロウが、ドアを開け放したまま目を白黒とさせていた。
手と手を — 触れあえば
今年の冬は一段と寒く、シティでも零下を記録したと、お天気お姉さんが朝一番の笑顔を輝かせて告げていたのを思い出す。
それだというのに、隣を歩くクロウはデリバリーと書かれたいつもの仕事服を羽織っただけで、しきりに寒い寒いと言いながら肩を竦ませて歩いている。
「だからちゃんとセーターでも着たら良かったのに」
ポッポタイムのガレージを出る前に、私はクロウにゾラさんから譲ってもらったセーターをクロウに渡したのだ。今日は寒いから、と。
まったく、と言ってクロウに視線を向けると、
「ゾラの婆さんには悪ぃが…」
と言ってばつが悪そうに目を逸らされた。そして引き結んだ口で呟く。俺の趣味じゃねぇ。
「でも人の好意は無駄にしねぇよ」
「じゃ、どうするの。着ないんでしょ?」
「寝るとき!寝るときに着りゃいいんだろ!」
セーター一つにやけになったように叫ぶクロウが可笑しくて、大口を開けて笑っていると、んなことよりどこで買うんだよ、とクロウがやはり身を竦ませながら尋ねてきた。心なしかその足取りはいつもより早い。
今朝、ブルーノとクロウの悲鳴と共に、ストーブとブラックバードがショートした。
私はその時、ゾラさんの手を借りて、全員分の洗濯物を干している最中だったので、実際のことは知らないが、少なくともクロウが嘆いた原因はブルーノにあるらしい。
発端は、ジャンクから拾ったものを調整して使っていたストーブが、いきなり黒い煙を上げてファンを唸らせていたことからだった。
それを見たブルーノが、傍に置いていたメモを心配して慌てて立ち上がった拍子に、机の上のカップを倒し、ブラックバードのシステムと連動していたパソコンに寝ざめのいい無糖コーヒーの一撃を喰らわせてしまったというわけだ。
運悪くも、ボンッ、という音と共にパソコンとブラックバードがショートしたその瞬間に、クロウはガレージへ訪れてしまった。私が状況を知ったのもそのすぐ後だ。
「ブルーノ、てめっ、俺のブラックバードを改造したいのか壊したいのかどっちなんだ!!」
サテライトで何年もかけてようやく完成した相棒を壊されたと、怒りに任せて掴みかかろうとするクロウを取り押さえて宥めすかし、このままではガレージがほぼ吹きさらしと変わらんぞ、と言ったジャックの声に、私はぐずるクロウを無理やり引きずってストーブを買いに来たのだった。
「もう大分歩いてるぞ。あとどれ位かかんだ」
もう凍え死んじまうといった形相で、クロウは鼻を啜る。あんまりにも切に聞いてくるものだから、まだまだ掛かるなどとからかってやろうとも考えたが、言ったら走り出しかねないと思い留まった。
「何言ってんの、まだそんなに歩いてないじゃん」
息をつくように笑うと、私の口からは白い煙が後ろに流れていった。風は弱いが、向かい風のせいで頬が少し痛い。大丈夫とクロウに向かって言う。
「あと少しで着くよ」
まじか!軽快に振り向いたクロウの目に光が宿った。
「早いとこ買ってさっさとガレージ暖めねぇと、この寒さじゃあいつらも凍え死んじまうぜ!」
余程この寒さが身に応えていたらしい。クロウの声はあからさまに嬉しそうだ。しかし、言った後ですぐさま勢いよく首を降る。
「いや待て、俺にあいつらの心配をする義理はねぇだろ!」
寧ろゆっくり買い物して帰った方が、ちっとは反省するんじゃねぇか。そう言って眉を寄せていたクロウの動きが一瞬止まって、みるみる色を無くしていった。
「…でもそれじゃあ俺も状況的に同じじゃねぇか」
楽しい。笑いそうになる口を噛んで、私は目を弓のように曲げた。クロウは両手を胸の前で開きながら、真剣な顔をして自問自答を繰り返している。
クロウとこうして外を歩くのは、サテライト振りだ。
ダイダロスブリッジが完成してからは、クロウはブラックバードを相棒に仕事に出っぱなしで、休日は遊星たちとエンジン開発、そしてたまの外出は必ずD・ホイールに跨って、私の知る限りでは、自分の足だけで街並みを散策することなんて一切なかったように思う。
サテライト時代は、あんなに昼夜離れずほとんど一緒に走り回っていたというのに、シティとサテライトが統一してからそれもなくなったと思うと、手放しに喜んでもいられないというのが、今の私の心情だ。
でも、こんなことをクロウに打ち明けることはできない。私とクロウは別に恋人同士でもないからだ。だから、私に寂しいなどと言ってクロウを邪魔する権利なんてない。たとえそれが彼女と言う立場にあっても、同じように考えるのかもしれないが、悲しいことに、私はクロウに少しだって自分を押し付けていい権利を持ってはいない。
マーサの家から出て暫くしてから、成り行きでクロウと子供の面倒をみるようになったけれど、私がすぐにクロウに恋愛感情を抱いたのに対して、所詮クロウは私を家族のようにしか思っていないのだ。
「あー!もう考えるのはやめだ!、早く行こうぜ」
「ちょ、ちょっと走らないでよ!」
そんなことは分かっている。今だって何でもないように、クロウは自然と私の手を取って走り出したのだから。きっと、唐突につながった体温に動揺しているのは、私だけなんだ。
クロウに引かれたまま走るのは、私の心臓が持たないと、寒い寒いと走る彼は何年経っても気づかない。
私たちが電気屋を出たのはお昼も過ぎたころだった。ポッポタイムから最寄りの店を目指したのに、思いのほか選ぶのに時間をかけてしまったようだった。
「ふー、けっこう時間かかっちまったな」
「そうだね。遊星たちにお昼でも買って行ってあげたいけど…」
ちらりとクロウを見ると、私の言葉に何とも言えない表情をしている。その頬が激しくひきつっているので、仕方がなく真っすぐ帰ることにした。
よかった、俺の身が持たないとクロウは安堵の息を吐きながら、ストーブの入った段ボールを抱え直す。
店内の暖房ですっかり危機感を失った身が、吹きすさぶ外の微風にぶるりと震える。クロウと顔を見合わせた。体内の発熱エネルギーもそろそろゲージが底をつくころだ。
「そうと決まったら、さっさと帰ろうぜ」
ストーブを抱いてまた走り出そうとするクロウの、僅かに上にある襟首を掴んで、私は反対方向へと歩みを進めた。クロウの大きな声が、寒風に悲痛な響きを乗せて、背後へと流れていく。
「ま、まだあんのかよ!」
「違うよ、歩いて帰ったらストーブ重いでしょ?」
「あ」
私が立ち止まった場所を見て、クロウは間抜けな声を漏らした。
排気ガスを吐き出して、まばらに人を乗せたバスが車体を揺らしながら車道に乗り出した。平日のこの時間はいつも空いているのか、バスの中は子連れの親子と、洒落た帽子を眠たそうに揺らしているおばあさんのほか、4、5人しか乗っていない。
それを好都合とばかりに、バスの後部座席を陣取って、私は暖房がよく効いた車内をゆったりと展望していた。
窓際に座るクロウは、バスに乗るのが初めてらしく、隣の座席に置いたストーブに寄りかかりながら、窓を突き破ってしまいそうな勢いで身を乗り出し、物珍しそうに声を上げていたが、今では心地よいバスの揺れと暖房の風にすっかり瞼を重くしている。
「こうして乗ってみると、バスも結構退屈だな」
眠たげな目を擦ってクロウが呟いた。料金表に表示された次の停車場所を見る。それはポッポタイムとは反対の路線を示していた。着くことには着くが、どうやら私たちは遠回りのバスに乗ってしまったらしい。
それをクロウに告げると、そうかと言ったきり、また眠そうに瞼を上下させるだけだった。
こんなに気を抜いているクロウを見るのは初めてかもしれない。サテライトなんかではそれは生死にも関わるから、どんなときだってクロウは気を緩めたりはしなかった。橋が完成してからも、配達業を勤しむことで精一杯で、きっとゆっくり休んだ日もなかったのだろう。
落ちかけた瞼がまた上がり、それと一緒にまつ毛が微かに震える。クロウのまどろむその様子を、私は珍しいものを見ているように、横目で盗み見ていた。視界の中でただ、クロウだけが鮮やかに色を持っていた。
だから、私は気づけなかったのだ。
唐突に、指にやわらかな感触が重なる。驚いて視線を滑らせる。私の指先に、クロウのごつごつした大きな指が触れていた。瞬間的に心臓が跳ねた。
偶然とはいえ、好きな人に触れている。それは私の熱を上げるのには十分すぎることだった。無意識に鼓動が早まったまま、ちらりとクロウへ目を向ける。
「…、」
「く、クロウ…」
視線が重なった。
半目のクロウが、その目に確かな強さを灯して、私を見ていた。言葉が出なかった。クロウから、目を逸らすことも、動くこともできない。
触れ合った指先から、少しずつクロウの手が私の手を覆っていく。その指先が微かに震えているのは、気のせいじゃないのかもしれない。
「…寒いからよ、」
そう呟くクロウのそれは、触れあった瞬間急上昇した、私の体温と同じくらい、熱い。私は、この手を握り返してもいいのだろうか。
「あのさ、クロウ」
「…何だよ」
こうして、クロウの手が触れる度に思う。私は、どうやってもこの手から離れられないのだと。
クロウが窓の外へ目を向ける。
「寒いから…私も、クロウに」
触りたい。数年来の気持ちを伝えて、後悔はしなかった。
窓に映るクロウの真っ赤な顔が、私も少しのわがままを言ってもいいのだと、そう、告げていたからだ。
クロウの視線の向こうでは、街路を吹きすさぶ北風に肩を竦めて歩く人々が、視界の外へ外へと流れていく。
足もとから頬を撫でる暖房が、心地よい春の風とばかりに、クロウと私の指先を温めていた。
(ほのぼの100題 2/012/北風)
10/02/05 短々編
10/02/05 短々編