付き合っていたって恥ずかしいのだ。
手と手を — つなごう
教室中がきゃわきゃわと騒がしい。主に耳に入るのは女子の囁きと黄色い声だ。
「ねぇ、みんなどうしたの?」
あまりにもざわついた空気に、こちらまでそわそわしてしまって、思い切って杏子に耳打ちをする。チャイムが鳴り終わるのと同時に、机の上に弁当箱を用意し始めた彼女は、もう昼休みを満喫する気満々のようで、私の問いかけに一瞬何のことかと眉を寄せた。そして、教室のざわめきにようやく気づく。
「確かに騒がしいね、何だろ?」
「何だぁ、おめーら何も知らねぇのかよ」
「うわっ」
城之内が待っていたようなタイミングで私たちの間に割って入った。突然のことでつい大声を上げる私とは対照的に、いつものことと慣れているのか、杏子はあしらうようにあんたの狭い情報網でよろしく頼むわ、と丁寧に弁当の包みを解いている。
杏子のこういうどっしり構えたところが好きだ。前にそう言ったら、それってどういうことかと問い詰められて、あまり嬉しそうではなかった。確かに女子が度胸が据わっている、なんて褒められても、可愛いと言われるのに比べれば、大して嬉しいとは思わないのかもしれない。しかし、私は杏子の気合いに尊敬しているから、本人が何と感じようが、それは褒め言葉なのだと何度でも言おう。
その肝の大きな杏子が、「で、どうしたの?」と城之内を見上げると、さっきまでの杏子の言い草に拳を震わせていた彼は、機敏な動作で腕を組んで、ふいとそっぽを向いた。次いで私たちの目の前には、城之内の大きな手のひらが無造作に差し出される。杏子と顔を見合せて首をかしげた。
「何よその手は」
「あン?まさかこの城之内様からタダで情報を得ようってんじゃねぇだろーなぁ?」
「本田くーん!」
馬鹿にされた腹いせと言うわけか、やけに勿体ぶる城之内に杏子が火をつけられる瞬間を狙って、慌てて教室の隅にいる本田君に手を振る。同級生に軽いパンチを喰らわせた後で、小走りに座席に近づいてくる彼に手招きをすると、空いた座席から椅子を引っ張り、どうしたんだと言って近くに腰を落ち着けた。
「ちょっと本田、こいつじゃ使い物にならないわ!教えなさいよ」
「お、おい何なんだよ杏子」
「本田ァ!てめぇは言うんじゃねーぞ!」
「城之内まで」
がたがたと椅子を倒さんばかりの勢いで立ち上がった杏子と城之内が本田君に噛みつく。
「おい、どうしたんだあいつら」
「気にしない方がいいよ」
折角開いた弁当も放り出して、早速闘争を始める二人を目の端に追いやって、私は半笑いのまま二人と私たちの間に軽い壁を作るように片手を振った。杏子のことを気が据わっていると言ったけれど、こういうところ、私も案外似てきたのかもしれない。
いくら昼休みだからといっても、教室の喧噪の中に紛れ込めない杏子と城之内の言い合いを一通り聞いて、本田君が肩を竦めた。
「大体わかった。女子たちのことか」
そう言う本田君に私は頷いて、もう一度教室をくるりと見回す。うん、やっぱり方々で固まる女の子たちはどこかそわそわとしている。みんながみんなではないが、何故かいつもこの教室で弁当を食べていない子まで目に入るのだ。心なしか女子に押されて男子の数が少ないようにも見える。
「俺も今朝知ったんだけどよォ、今日獏良の誕生日らしいぜ」
「え、獏良君の?!」
知らなかったよ!と焦ったように叫ぶと、俺だって今日知ったって言っただろと本田君が呆れ顔で言う。獏良君は見た目に違わずまめな性格だ。前に話の流れで私の誕生日を教えたら、手作りのキーホルダーを持ってきてくれたのだ。それだというのに、私はまったく何も用意していない。
ああ、どうしようどうしようなんて、少し慌てている様子に、本田君は誕生日なんて言葉で十分だろうと理解できないと首を振っている。何を言う。女子に貰い逃げなど許されないのだ。
ふと、気づく。ついつい叫んでしまったが、そう言えばその名に反応して、女子生徒の視線がこちらに少し集まった気がした。なるほど、そういうことか。私は一人納得して大きく頷く。城之内が振りかぶった手を勢いよく本田君の頭に振り降ろした。
「ばっかやろう本田ぁぁあ!」
「お前ぇのちんけなプライドなんかで俺を殴るんじゃねぇ!」
杏子と城之内が治まったと思いきや、今度はこちらがどつき合いを始めたらしい。構っていたら貴重な昼休みがなくなってしまう。
息を落ち着けた杏子が、荒れた座席へ腰を下ろす。教室はまだそわそわと騒がしい。
「遊戯遅いなぁ」
ざわめく教室の入り口を覗きこんで杏子が呟いた。暇な時は大概一緒に弁当をつつく遊戯君は、御伽君と購買に行ったきり帰ってこない。
換気のためと保健委員が開けた窓から、カーテンを撫でて風がふわりと髪の毛をくすぐる。晩夏の涼しげな匂いが鼻を掠って、おまけにと昼時の香ばしい風をどこからか運んでくる。
お腹がぐるりと鳴った。杏子が笑う。
「先食べようか」
「やった!城之内お先に!」
「何で俺に言うんだよ!」
からかえば必ずいい反応が返ってくる。童美野町全域に怖れられた不良というのはどこへ行ったのだろう。今や女子高生と張り合う、やんちゃな一学生でしかない。
いよいよ本気で拗ね始めた城之内を尻目に、杏子と私は呑気な声で、いただきますと手を合わせた。
獏良君にはご愁傷さまと手を合わせるしかない。女子生徒がごっそりといなくなった我が教室は、ほとんど男子の城と言っていいほど閑散としている。
「教室に入るなり、びっくりしちゃったよ」
「凄い勢いで連れてかれてたもんね」
杏子の前でパンに齧りついていた遊戯君は、入り口を振り返って先ほどの出来事を思い起こしたように呆然と口を開けている。私の隣では、御伽君がサンドイッチの包装紙を丁寧に剥がしながら、苦々しげに笑っていた。あの女子たちの猛烈な熱気は、獏良君のほかには御伽君くらいしか分らないのかもしれない。
「ったく人のこと言うけど、お前だって同じじゃねぇか」
羨ましい限りだぜ、と城之内と本田君が御伽君を見て僻んでいるが、「僕はそんなんじゃないよ」なんて眉を下げて笑いながら、レタスをつんつんと突いている。本人に自覚はないのだろうが、それでは二人の妬みが増大するばかりだ。
案の定涙をこらえるように歯を食いしばって、何が足りねぇんだなどと咽ぶ真似をしている。
「獏良君、大丈夫かなぁ」
私が呟くと、城之内がぎょっとした顔をした。私は何も不思議なことは言っていない。なのに、城之内は両ひざを音がするほど叩いて、御伽君を振り返った。
「お、おい、いいのか御伽!」
なにが、と問う前に、横から本田君がにやけ面で口を挟む。
「不倫だぞ不倫!」
杏子が深くため息をつく音が、私たちを包み込む。遊戯君の呆れ顔がそれに重なって、私の城之内たちを見る目がますます白くなりつつあったのだが、それに彼らはまったく気づいていないらしい。というよりも、気づいていても意に介していないだけと言う方が正しいのかもしれない。
「そういやお前が来る前、がやけに獏良のこと気にしてたなぁ〜」
「ああ、獏良くん獏良くんってそわそわしてなぁ〜」
「ちょ、何言って」
いやらしく顔を歪めた城之内と本田君は、早食いとばかりに食べ終えた空のコンビニ弁当を机に放り投げて、お互いに身をくねらせながら御伽君と私を囃す。
勿論私は、ただ誕生日のお返しについて焦っただけだ。だから、ここで変に取り繕わなくても、杏子だって知っているし、皆いつものことと承知しているからいいのだが、今日に限っては声を上げてしまった。
隣の御伽君。付き合ってはいるものの、この輪の中にいる限り、私たちは付き合う前となんら変わりない関係を保っている。恋人らしいことをしていないわけではないが、それはいつも二人きりの時で、忙しい高校生に、そんなこと、ほんの偶にだ。
だからこうして、人前で御伽君について持て囃されることは初めてだったから、いくら杏子の気構えに感化されていたとしても、適当にあしらうことはできなかった。私は恥ずかしくて隣を向くことができない。
御伽君は、黙ったままだ。
声を上げた私に、思惑通りと城之内たちが笑みを深める。
「そーか、お前…」
「いや、俺たちは何も言わねぇぜ…獏良によろしくな」
「違うって!知ってるくせに」
最早腹いせ以外の何物でもない。しかし私が反論すればするほど、二人は面白がって声色を変えては人をからかって楽しんでいる。
もうやめてほしい。まばらに残る生徒の視線が、城之内のやかましさに負けて、時折こちらに向けられるのだ。人の視線の的になるのは、得意ではない。意識したとたん、少しずつ身が固まってきて、油をさしてない機械みたいに、骨の節々が苦しげに音を立てる。
御伽君が何か言ってくれれば助かるのだけれど、わざと視界から外した隣の彼は、一言も口を開いてくれない。羞恥からか、頭が熱くて締め付けられるようだ。ひとりだけ、素知らぬふりなんて、ずるい。箸を持つ手に、知らずに力が込められる。
心がもやもやを抱え始めたころ、見かねた杏子と遊戯君が箸を置いた。
「まったく、君たちは…」
羞恥で霞んだ私の耳が、教室中の笑い声とざわめきの中から、微かに呟くその声を拾い上げる。思わず強く握り過ぎて、白くなっていた指先から箸をそっと抜かれ、私の手はゆるりと包まれた。
少し冷たくて、私のそれより遥かに硬い。
「…御伽君」
そう、彼の手だ。私の手が、一気に色づく。
御伽君は振り向いた私と目を合わせると、緩やかに笑って、包んでいた手を握り直し、そのまま御伽君の膝の上へ乗せた。
「…これで満足かい?」
そう言った御伽君は少し怒ったように眉を寄せていたけれど、私の頬と同じ色をしていた。言ってしまえば、残念なことに、人をネタにして興奮していた城之内と本田君の頬も、図々しくも赤らんでいたのだけれど。
ヒューと口を鳴らして何故か喜び手を叩き合う二人を、杏子がどつく。
御伽君の手が、きゅっと私を掴むと、目の前がくらくらとした。ちらりと彼を盗み見れば、珍しいことに四方八方に視線をさまよわせている。私まで彼を見れなくなって、急いで視線を外した。
「お、お弁当、食べようか」
取り残された遊戯君が、一際真っ赤な顔をして声を張りあげた。その裏返った声に、もしかして一番緊張しているのは遊戯君ではないだろうかと笑いかける。
「わぁ、すごく仲がいいんだね!」
突然背後に現れた獏良君に、御伽君と私は驚いて飛び上がると、彼が大量に抱えていたプレゼントの山が、ぼたぼたと私たちに降り注いだ。
手と手をつないだまま崩れ落ちた私たちを、晩夏の風が笑い声と共に駆けていった。
(ほのぼの100題 2/042/手をつなごう)
10/02/09 短々編
10/02/09 短々編