ミセスハイドより 上



今日も駄目だ、とは思った。カップを持って離れた椅子を引きずるように引いても、遊星は気づいてくれと言わんばかりの音にさえ見向きもしない。仕方なく腰掛けて、喉までこみ上げてきた悪態を、今しがた入れたばかりのお茶で飲み込んだ。
悪気があるわけじゃない──とは自分に言い聞かせた。カップを両の手で包み込んで目を閉じながらゆっくり飲み込めば、いつもならそれでいくらかは落ち着くはずだった。でも今日は目を瞑っても、お茶を飲み込んでも、温かさがお腹から全身に広がっても、少しも気持ちは晴れはしなかった。
目を開いて、カタカタと必死にキーボードを叩いたまま、の存在を忘れきっている男の背中を恨めしげに眺める。そんなことをしたって、遊星が気づくはずもなかった。分かっていても、目に力は入る。
脇にあったお茶うけのせんべいを握るように掴んで頬張ると、溜めていた不平がふつふつと頭を沸騰させてくる。
ねえ、と声をかけようとしたが止めた。どうせ適当にあしらわれるだけだ。
毎朝毎晩毎昼、遊星が疲れる頃を見計らってお茶を出して、気を使って食事まで用意しているというのに、これっぽっちも返事をしない。私はお茶汲み女ではないのだ。バリバリとなるべく大きな音が立つように、思いっきりせんべいを噛み砕く。
遊星がそうするのはどうしてなのか、には薄々分かっているような気がした。


が遊星に世話になるようになったのは、4、5年前のことだ。はまだ11の時だった。孤児たちのグループの中で育ったので、勉強というものとは一切疎遠だった。何とか読み書きは不自由なく出来るようになったものの、それ以上の学問と関わる機会はなかったが、それを後悔したことは一度もない。
その分のエネルギーが有り余っていたせいか、やんちゃの盛りで喧嘩っ早く、女にするのが惜しいと言われるほど威勢があったが、思い返せば手のつけようがない悪ガキだった。
男には負けるまいと、張り合わなくていいものを進んでぶつかっていくから、子供だから女だからと懇切丁寧に労ってくれる人間もいなかった。いたとしても、子供じみたプライドで跳ね除けてしまっていたのだから、呆れ果てて人が手を貸さなくなるのは、当たり前の事だった。
その無鉄砲さが災いして、唯一の居所だった長屋で年上の男と大げんかをして、敵わないのに腐った挙句、喧嘩にかこつけて長屋中の戸を壊して回ったら、ついに追い出されてしまった。
幸い工場で働いていたから食い扶持には困らなかったけれど、住む家が無いために、暫く路地裏や廃墟の片隅で寝泊まりをする羽目になった。
サテライトには土地権が明確であることが殆どない。そこが誰の土地であるかというよりも、そこが誰の縄張りであるかと言ったほうが正しい。そのために寝る場所どころか、腰を下ろす場所さえ点々としなければならなかった。
そんな時に会ったのが遊星だ。路上で熱を出してガタガタ震えているをアジトに連れ帰り、寝ずに看病をしてくれた。ベッドの傍らにパソコンを運んで、いつでもが声をかけてもいいように夜通し座っていてくれた。その時の液晶から漏れるぼんやりとした淡い光は忘れもしない。熱で浮かされた頭には、どんな光よりも心地よかった。時折「具合はどうだ」と尋ねてくる遊星の、まだあどけなかった顔すらたくましく見え、幼いには救世主にさえ思えた。
朝起きた時、お陰で熱はすっかり下がっていた。寝込んでいるときはこの世の終わりのように感じた熱も、悪い風邪に犯されたからではなかったようだった。
「気を張りすぎていたようだな」
ベッドから起き上がったを支えながら、遊星は冷えた牛乳が注がれたカップを差し出して言った。いくら意地っ張りのでも、遊星の言葉に否定はできなかった。
抵抗もなく、大人しくカップを受け取る。どう切り出せばいいのか、一瞬迷った。
「いくらかかる…?」
遊星は始め何のことか分からなかったようだった。が代金のことを言ったのだと理解すると、遊星は可笑しそうに口元を緩ませた。
「金はいらない。住む場所がないならずっとここにいてもいい。その金も取らない」
それはその時のにとって、本当に救いの言葉だったのだ。

それからWRGPが終わって数ヶ月経った今日という今日まで、まるで引越しの荷物のように、遊星の住処に当たり前のようについてきて居座っているのだから、だっていい加減図々しいとは思っている。WRGPの後引っ越してからも頻繁にここへ足を運んでいたチームの皆も、とうに自分の夢へと旅立っていってしまい、だけが居残り続けているのだ。それで遊星も、いつまでも居続けるにすっかり慣れてしまって、インテリアか何かだと思ってでもいるのだろう。
負い目はある。悪いとは思っているのだ。だからこそ、少しでも役に立ちたいという気持ちを察してくれてもいいじゃないか。
バリン、と怒りを込めてせんべいを噛み、は一層力を込めて遊星を睨んだ。

いくら夢中になっていたって、「ありがとう、美味しいお茶だ」まで言わなくたっていい。せめてうんでもすんでも言って受け取ったという心を見せたらどうだ。そうすれば忙しいのだから、返事をした途端に頭の中で整理していたことが抜け落ちてしまうのかもしれないと、少しは意図を汲んでやることも出来る。
それが何だ。パソコンに向かったっきりお茶を差し出したことにも気づかない。声をかければ邪険に扱われる。
いっそこんなものなどなくなってしまえばいいのだ、と何度思っても、仕事のこととなれば迷惑がかかってもいけない。モーメントのことならヘタをしたら人命にも被害が及ぶこともあるだろうと、液晶を掴みそうになる腕を抑えて耐えてきたのだ。
けれど、それももう限界だった。

せんべいの最後の一欠片を口に放り投げて、バリバリと噛み砕くと、は立ち上がった。
「遊星、出かけてくるね」
言って、は画面に張り付く男の背中を見つめた。ガレージの高い天井に、カタカタとキーボードを叩く音が跳ね上がっていく。返事はない。ぷつっと、の頭で何かが切れる音がした。
それからのは全くの無表情だった。テーブルの上に散らかしてある書類をかき集めると、何も言わずに鞄に詰め込み、そのままガレージのドアへ向かった。
困ってしまえばいいのだ──と思った。どうにでもなってしまえばいい。
そうは思っても、やはり一日だけの仕返しのつもりだった。いくら鬱憤が溜まっているからといって、破るも壊すも流石にできないが、これだけでも遊星なら随分とヒヤッとすることだろう。
苛立つ足でドアを蹴るように開けて、もう一度遊星を振り返る。目を液晶に釘付けにして、片手をマウスに添えたまま、何食わぬ顔での入れたカップのお茶を啜っている。
カーっと頭に血が上った。ばかやろう!と叫びたいのを我慢して、遊星に向かって戸を叩きつけるように閉めると、はさっさと広場を後にした。



気づいた時に、テーブルの上に置いていたはずの書類が消えていた。遊星ははて、と首を傾げる。考えだすと周りが見えなくなる自分の性格は承知しているから、また無意識にどこかへ移動させてしまったのだろうと探しまわるが、一向に見当たらない。
──」
心当たりがあるか尋ね、無ければあわよくば一緒に探してもらおうと思って声を掛けたが、そのの姿すらどこにもおらず、遊星はため息を付いて仕方なくデスクのカップを手に取った。
冷めきってひんやりとした渋いお茶を喉に通す。するとふと、は出かけると言っていたようなことを思い出した。どこに出るのかは聞いていなかったが、起きがけに今日も、なにそれのパスタを作るとか、なんとかのオイルを馴染ませると美味いとか、サラダのドレッシングが上手く出来ないとか言っていたから、すぐにでも戻ってくるだろう。
書類はその時にでも聞いてみればいいと、呑気なことを思いながら、遊星は背伸びをした。最近はパソコンに向かいっぱなしで、肩の凝りが酷い。
お──仕事をしているときは気づかなかった頬を撫でる風に、窓の方へ目を向ける。
朝方にが開けたのだろう。きっと届かなくてヒイヒイ言いながら背伸びをして開けたのか、窓は中途半端な位置で止まっている。
外から噴水の水音が耳をくすぐった。重ねるように鳴き声が聞こえるが、あれは何の鳥だろうか。ひとつ音に気づくと、ガレージの窓から世界が流れ込んで、引っ張られるように意識がそちらへ持っていかれる。
休憩がてら出てみようか。ほんの数分、広場の周りを歩くくらいなら、帰ってきたとすれ違っても、昼食を作る間に戻って来られるだろう。仕事はその後にまた再開すればいい。
遊星は一人納得すると、早速データを保存してから、心なしか早足でガレージを出た。



面白くないったら面白くがない。到底手が出ないブランド物の靴や服を眺めながら、からはため息ではなく荒い鼻息が出る。遊星の仕事道具を拝借して、時間つぶしにとモールへ遊びに来たのはいいものの、怒りは依然抜けきれていなかった。
がガレージを出てからもう2時間は経っている。遊星もそろそろ気づく頃だろう。忽然と消えていた書類を探して、遊星の慌てふためく姿が脳裏に浮かぶが、ちっとも愉快ではない。それどころかの中には、鬱積していた不満が言葉となって渦巻いていくばかりだった。
そんなにパソコンが大事か。返事もできないほどに仕事が大事か。そう思っていつまでも一人苛立っているのは、子供じみているとジャックにでも言われそうであるし、書類を盗んだことがアキやクロウに知れれば、鬼のように怒られるだろう。
けれど遊星の態度が一日二日ならいい。だって、根を詰めているのだろうと、そっとしておいてやることだって出来る。でも、モーメントの管理に雇われてからずっとなのだ。遊星の仕事が落ち着くまで待つなど、何年経つか分かったものではない。その前にこちらの気がおかしくなってしまうだろうと、は思った。出ていくという選択肢は不思議と浮かんで来なかった。

買う気がなければ、一人で店を冷やかして歩いてもすぐに退屈の虫が湧いてくる。手持ち無沙汰になって、は目の前に見えた喫茶店へ、雨宿りのような気分でふらりと入った。
大体遊星は鈍感すぎるのだ。は店員に差し出された水を口に含んで、喉を潤した。そのせいか、悪態はどんどん浮かんできて、堪えていなければ口からすぐにでも飛び出してしまいそうだ。
夢中になると目の前のことしか見えなくなるのが遊星の性格だとは、十分承知している。だけどもうサテライトのあの頃ではないのだ。ずっと大きくなって独り立ちも十分にできる女が、「ずっとここにいていい」という子供に言った言葉を鵜呑みにして、今日まで黙って居座り続けると思うのだろうか。
プラスチックに挟まれたメニューを掴むの手に、自然と力がこもった。

サテライトがシティの一部として組み込まれてから、工場で働いていた人間には製造業などの職が紹介されたが、勿論給金はそれほど高いわけがない。生きていくのに困らない程度で、贅沢などは出来はしなかった。
それでもは、余裕のある月にさえちょっとした菓子なども買わず、服にほつれができてもまだまだ着れると、縫いあわせて服代を貯金し、遊星のためになれば、そう思って殆どを生活費の足しにと貯金してきたのだ。でも遊星は頑としてそれに手を出そうとはしなかった。それがには居候するばかりで、必要とされていない気がして面白くない。だからせめて身の回りの世話だけは、と思ってしまうのは自然の流れだった。
恩を着せるためにしてきたわけじゃないし、見返りを求めているわけでもない。貯めるばかりで使われない生活費のために節約しているのは滑稽であるし、頼まれてもいないと言われてしまえば終わりである。けれどもしものことがと思えばこそ、遊星を思って貯めたくなる気持ちが、女心なのかもしれない。でもそれを当たり前のように思われたら、女どころか、何とも思われていないと受け取ってしまっても、仕方ないじゃないか。
遊星は何年一緒にいようが、これっぽっちもこちらのことなんて分かりはしない。子供の心はわかっても、女心は全くわかっちゃいない。はそうして毎日をやきもきした心持ちで過ごしてきた。

だから遊星に少し悪戯をしてみたくなった。腹いせだが、本心はそれだけだった。こんなことをしたのは二度目だ。でも、以前は今よりずっと本気だった。海に身を投げても構わないと、心の底から思っていたのだ。
「ご注文、お決まりでしょうか?」
右隣に立つ影に気づいて、ははっと顔を上げた。妙齢の店員が、片手に伝票を持ちながらこちらを伺っている。
「あっ、はい」
メニューなど握りしめていただけで、少しも頭に入っていなかったが、は咄嗟に返事をしてしまった。慌てて一番上の文字を指さす。
「け、ケーキセットを……紅茶で」
「かしこまりました」
店員は言った後、思い出したように伝票に書き込んでいた手を止め、
「本日はベイクドチーズケーキで御座いますが、宜しいでしょうか?」
と尋ねてきた。はそれにも反射的に頷いた。よくよく見もせずに入り込んだ店だったので、時間さえ潰せればなんでも良かった。
伝票を置いて、笑顔で戻っていく店員を見送ると、無意識にほっと息が漏れた。

が考え込んでいた間に、店内が騒がしくなっている。気づけばもう、昼食の時間だった。女性客が多いところを見ると、軽食を取るつもりなのだろう。
のお腹がぐるりと音を立てた。昼はまだ食べていない。けれど、帰って作れば百円も掛からないようなサンドイッチを、硬貨を何枚も払って食べたいとは思えなかった。他の店へ行っても、きっと同じことを思う。
こんな時くらい、と思っても、周りの人間が囲む料理を見るにつけ、ガレージの狭いキッチンが思い出された。
──今頃遊星はどうしているだろうか。
の意識はすぐさまガレージへ引き戻された。が戻ってこない事に気づいて、慌てふためいてはいないだろうか。
「はぁ……」
自分で思って、絶対にそれはないと首を振った。たとえが昼飯を作りに戻らなかろうと、用事があったのだろうと言ってパソコンに張り付いたまま、カップラーメンを啜るような男だとわかっていた。遊星が動揺するとしたら、ではなく書類に関してのことだ。しかしどうせそれも、自分だけでどうにかしてしまうに違いない。こんなことをしたって、今までと全く変わりはしない。
何かいい案は──

「お待たせ致しました」
思ったところで、先ほどの店員が紅茶とケーキを運んできた。はお辞儀をしながらテーブルの上の水を申し訳程度に隅に寄せて、身を反らせた。
「ごゆっくりどうぞ」
店員が一言残して立ち去ってから、温かいお茶を先に口に含む。口内から鼻孔へ茶葉の香りが広がった。
──そうだ。ソーサーへティーカップを置きながら、の頭に一つの案が浮かんだ。
いっそいなくなってしまえばどうだろう。そうすれば、何時まで経っても出ないお茶に気づいてありがたみを噛み締めるだろうし、が作ってきた手料理がカップラーメンよりずっと温かいものだと、遊星だって気づくだろう。
なんていい考えだろうとは思った。そうだ、これだ。これにしよう。
チーズケーキをフォークで切り取って口に含むと、口に甘さを含んだチーズの程よい味が広がる。それを味わうように紅茶に口をつけた時初めて、この店のチーズケーキは美味しいと、前にアキが話題にしていたことを思い出した。
いなくなるといっても一日二日ではない。一週間やそれ以上だって、あの図太い遊星には必要だ。思いながら、冒険を前にしたような心持ちでどんどん口に運んでいくと、の前の皿はすっかりきれいに無くなってしまった。幸福感を噛み締めながら息をつく。
不意に、モールの中から赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。粗相をしたのかもしれない。喫茶店の入り口から人ごみの向こう側に、赤子をあやしながらトイレにでも歩いて行くのだろう、若い母親の姿が見えた。ぼんやりとその姿が雑踏に紛れるのを眺めながら、はぬるくなった紅茶をゆっくりと啜った。

本当に、上手くいくだろうか。飲み込んだ紅茶の渋い感覚が、の喉を通って行く。
一日でも、二日でも、一週間でも、いなくなったとしてもし、遊星が何とも思わなかったら?本当にただのインテリアだったら?もしかしたらそれよりも低いかもしれない。いつなくなっても気がつかないような、景品程度の存在かもしれない。結果によっては、そんな遊星の気持ちを知るために、はいなくなることになるのかもしれない。

カタリと紅茶の入ったカップを置いた。大して食べてもいないのに、もう紅茶すら、喉を通るような気はしなかった。



昼はもうとっくに過ぎていた。窓から差し込む夕日に照らされて赤々と光る、ガレージの床を眺めながら、遊星は汁まで全部飲みきったカップ麺の空をゴミ箱へ放った。
は結局帰ってこなかった。探すのを手伝ってもらおうかと、呑気に後回しにしていた仕事の書類も、依然見つかっていない。どこへ移動させたのか頭をいくらかき回したところで、遊星には見当もつかなかった。
書類がなければ、仕事を進めようがない。半ば呆然とした気持ちで、遅い昼飯に手を付けていたところだった。一日中稼働させ続けているパソコンは、指示を待ったままスリープ状態に入り、画面を暗くさせている。

は一体どこへ行ったのだろうか。遊星は椅子にもたれ掛かって、ぼんやりと天井を眺めた。書類が消えたのとは全く関係はないのに、の行動を気にかける自分が可笑しくなった。
何か用事でも出来たに違いない。WRGPが終わって、ずっと続けていた仕事をやめてからというもの、は日の殆どを家事に従事していた。偶にはサテライト以来の友人と遊びに行くことだって出来ただろう。それなのにどうしてかそれを渋って、この一年は遊びに出かけるところを見たことがない。
今日くらい、たっぷり気晴らしをしてくるのがいい──とカップを取って口につけたが、中身が空っぽだったことに気づいて、遊星は自嘲した。
空のカップを片手にテーブルまで歩み寄って、ポットを持ち上げた。軽い。お湯はいつもが入れていたのだということを思い出した。遊星は諦めたようにカップを脇に置いて、息をつきながらまた椅子に腰をかけて、背もたれへ体を預けた。
が好きだろうと思い買ってきた商店街のお焼きも、昼時には温かかったものだが、テーブルの上に置きっぱなしにしていた紙袋の中で、すっかり冷めてしまっている。

のことだ。遊んでいても気にして、夕飯には帰ってくるに違いない。
思いながら、ちらりと横目にパソコンの液晶を見る。つい数カ月前まで一緒に、この画面に向かってエンジンの開発をしていた友人は、すでに帰らぬ人となってしまっていた。記憶の闇に沈みそうになるのをとどめながら、遊星は目を瞑る。肩の凝りが酷くなっていた。目の疲れも取れていない。

夕飯には帰ってくるだろう。もう一度、遊星は心の中で繰り返した。だが、不意に浮かんだのは三年前のことだった。あるはずの書類が消え、も帰ってこない。
うっすらと目を開けた。天井に染みを作るように、ぽつぽつと記憶が遊星の頭に滲んでくる。
「三年か……」
たった三年だが、思い返せばもっと長い年月を過ごしてきたかのような気がした。



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12/08/25 短編