取っ手を回せば、ガラガラと軽快な玉の転がる音がする。後列に並んだ子供や主婦たちの落ち着きない視線を背に受けながらも、大きな買い物袋を抱えた私の手はぞんざいに回る。
こういう旅行券や宿泊券などで釣った福引というものは、大概当たらないようにできているのだ。一度もあたり鐘の祝福に出会ったことのない卑屈な気持ちが、私に高らかに鳴る鐘よりもティッシュの厚みを想像させた。そんな三回転目。プラスチックがアルミプレートに落ちる安っぽい音で、私は勢い回しかけた手を止めた。

「おめでとうございまァァァす!!」
喧しいベルとざわめく商店街。福引の景品板に黒々とした打ち消し線が引かれると、子供の泣き声がそれに混じった。
がらんがらん、がらんがらん。いつまで鳴らすのか、まるで目を覚ませとベルに頭を叩かれているようだ。
急かされるように視線をずらしたその先。よくよく見れば、プレートの上には同化してしまいそうな銀色の玉が輝かしいほどに光っている。

「……まじか」
両の手から、買い物袋が滑り落ちた。



冬に恋 上



「福引に当たったんですけど、店長いりませんか?」
中心街の喧騒を抜けた裏通りの一角に、私の勤めるパン屋がある。餡がぎっしり詰まったあんパンが人気のお店は、昼前後に一日の中で最も人の出入りが激しくなる。
あの、と声を掛けて、怒涛のような会計を済ませた私は、工房から顔を出して休憩を告げた店長の足を止めた。
「………あら、当たったの?」
お店をたっぷりと沈黙で満たしてから、店長は言った。それから、本当に?とでも聞きたそうに、まじまじと私の顔を見つめる。
「当たったって…ティッシュでしょ?」
「ち、違いますよ!」
それはハズレじゃないですか!と叫ぶと、店長が納得したように頷いた。
「だから今日は客が降ってきたというわけね」
ありがたいわー、と笑う店長は、女だてらに店を切り盛りしているだけあって笑い方も豪快だ。私のくじ運のなさを知っているだけに、いつもより店が繁盛したことを掛けているらしい。面白くない。私は口を尖らせた。
「店長、いらないんですかー?」
わざと不貞腐れたように言えば、ごめんごめんと謝られる。
「でも当たったって、何が当たったの?」
「それがですね…」
やっと話を聞く気になってくれたらしい店長にほっとして、私は今朝から渡すつもりでポケットに突っ込んでいた封筒を取り出した。
開いて中身を覗かせる。
「あら、」
意外だったのか、それとも納得したのか、ひとつ声をあげると、店長は妙に落ち着いた顔つきで封筒から二枚のチケットを取り出した。手からするりと抜かれる感触に、私は口を開いた。
「知り合いにはほとんど断られてしまって…私が持っててもしょうがないですし、もし宜しければ」
貰って貰えませんか、と全てを言う前に、店長の手がそれを制した。
「何言ってんの!あんたが当てたんでしょ?だったらあんたが使いなさいよ」
笑ってくしゃりと頭を撫でられる。
「タダで貰えるものほど嬉しいものはないってね!」
「いや、でも…」
手の中のチケットは二枚。そして日付は決まっている。
「誘うのなんて誰だっていいのよ」
店長は事もなげにそんなことを言うが、そんなに簡単なことではないのだ。難しい顔をした私に、断る人なんていないわよーなんてとんでもないことを言っている。
「クロウを誘えばいいじゃない」
「えっ…」
カッと顔を熱くした。その名前が出た途端に反応した単純さが可笑しいのか、店長は含み笑いを浮かべて大丈夫よ!と私の頬を人差し指でつつく。すっかり上気した頬をつんつんと愉快気に。
「なんてったってタダなんだからね、タダ!」
「いやっ、ない!あいつはないです!ないないないない!絶対ない!」
慌てて否定する私を放って、それきり笑ったまま店内を整理し始める店長にもう希望はないとがくりと肩を落とし、私は店の奥に身を滑らせた。


福引に当たった。それも二等だ。宝くじどころか、駄菓子のくじにも、サテライト時代の配給にさえも漏れに漏れ続けた驚くほど運のない私が、これまでの人生でたった一度の当たりくじを引いた。喜ばないはずがない。
当たり鐘が商店街を道行く人を振り返らせた時、いつもならばその雑踏に紛れて振り返る側の私が、なんと二等を当てたのだ。俄かには信じ難いことだけど、私の手が握っているものは、ティッシュではなかった。何度確認しても、それは封筒。私の手の上にちょこんと乗っている。ポケットティッシュよりずっと軽くて厚みもないのに、不思議と心が浮きたった。きっとこの手にはティッシュ何個重ねたって到底届かないような、価値あるものが乗っているに違いないのだ。
私は元が単純な性格だから、中身すら確認せず躍りあがって意気揚々と帰路についた。景品の内容というよりも、運に恵まれたことに喜んでいたことは一目瞭然だ。今日のお茶は何でこんなに美味しいのだろうと、おめでたいことを考えながら一息ついたところで、ふと気付いた。
結局当たったものはなんだったのだろうと。

休憩室の隅っこの椅子に腰かけて、譲渡失敗に終わった封筒を取り出した。お尻のポケットに入れていたために、少し歪んでしまっている。体温で随分と温められて柔らかくなったその封を開いて、無造作に中身を取り出した。
「よりにもよって…」
私の手に髪の毛数本ほどの厚さをもって摘まみ出されたのは、何を隠そう、遊園地のチケットだ。
私はもともと旧サテライトの出身で、ここ最近ようやくネオ・ドミノシティでの生活に慣れてきたばかりだった。居住地区の差別から解放されて数か月、職を手につけることに精一杯で、物珍しいものばかりのシティの風景に脇目を振る暇もなく、まだ貧窮時代の名残か懐のことばかり考えて、シティ特有の場所には中々足を向けられずにいた。
遊園地に関しては、いつか行けるようになるだろう。遠い未来に夢を馳せる心地で心に留め置く程度で、まさか近々行くことになろうなどとは夢にも考えてはいなかった。
だから景品の中身を見た瞬間には、感極まって拝みそうになったほどだ。
それが何故こんなにも私を悩ませることになったのか。

まんじりと見つめたチケットの表面。虫眼鏡でも借りたくなるような小さな文字が、つらつらと書かれている。すべらかな表面をなぞり読めば、一際太く目を引く文字で必ず視線が止まる。
『二名一組男女ペアチケット』
「……よりにもよって…」
苦虫を潰しても潰し足りないような顔から、苦渋の声が漏れる。

簡単に言ってしまえば、この単語に、私は文字通り躍らされているというわけである。

生まれが生まれだからか、吝嗇とまでは行かないが物惜しみするたちではある。いわゆる貧乏性とでもいうのだろうか。どんなものでも『運よく』手に入れたなんてことは一度たりともなかったから、大概欲しいものは骨身を惜しまず働いて稼いで手に入れた。だからこそ手放すという行為には、どうしても躊躇ってしまう。
それが今回、一生に一度きりと言ってもいい幸運くじを引いたにもかかわらず、涙を呑んで店長に譲らんと決めたチケットは、含み笑いと共に手元に返されてしまった。そしてそれは何度見てもやっぱり、『男女ペア』という条件付きのチケットなのだ。

折角この手で当てたのだから、手放したくはない。けれど一緒に行ってくれる当ても、ない。
昔馴染みには頼んでみたけれど、固定の日時に都合がつかないのと、遊園地なんぞに一緒に行く間柄でもあるまいしと言われてしまえば、それで終わりだった。あまつさえ、断っておきながら、連れに当てがないなら譲ってくれとまで言ってこられては、意地でも渡したくなくなるものだ。

他に誰かと考えていると、ふと浮上してくる声。
──クロウを誘えばいいじゃない
旋風巻き起こるほど勢いよく首を振った。いや、ない。絶対にあり得ない。一緒に行きたいかどうかの問題じゃなく、そもそもあいつが誘いに応じるわけがない。そんなの店長だって分かっているくせに、どうしてまたクロウの名前を。
思ったけれど、思い当たる節はあり過ぎた。さっきの私の反応。まんま気になりますと言っているようなものだ。お節介焼きの店長が、この楽しい話に乗らないわけがなかった。
でも、無理なものは無理なのだ。

カランカラン。鬱々とした思考を遮るように、来客のベルが鳴った。そろそろ休憩も終わりに近い。思って時計を覗いた。はっとする。今まで考えていたことなんか綺麗に忘れて、知れずにじんわりと心臓が疼いた。
慌てて立ち上がる。焦る手でチケットを封筒にしまって、そのままポケットに突っ込んだ。くしゃりと捩じれる音がしたが、気にしている暇はなかった。
ぐるぐるぐるぐる、店長の言葉が螺旋のように旋回する。
絶対無理、ではないかもしれない。当てがないわけじゃ、ないのだ。
ああ、何をこんなに焦っているんだろう。無意識にぎゅっと手を握りしめる。手汗が情けない。深呼吸の代わりに、ゆっくり呼吸を繰り返す。よし。
「いらっしゃい!」
まるで卸売りのような店長の明るい声に呼ばれるようにして、私は表へと向かった。
もう期日は明日。もし誘うとしたらきっと、これが最後のチャンスになるんだろう。


表と境の戸をくぐると、ショウケースの前に立つ、予想通りの人影が見えた。ひとつの笑い顔が流れるようにこちらに向けられる。どきりと、胸が鳴った。
「よぉ」
「…いらっしゃい」
決して店長に向けるような人懐っこい笑みではなく、声色と共にからかいを含んでいる。この店の常連のクロウという男は、私に対してはいつもそうなのだ。
「随分と長い休憩のようで」
仕事合間に毎日のように通う彼は、大体店が空き始めたころにベルを鳴らして、同じパンを買って帰っていく。それも店の一押し商品は一度も買った試しがない。毎度毎度、昼を生き抜いた売れ残りのサンドイッチばかりを手にとって、まるでそこにパンがあればどんな店であろうと構わないと思われているような気がして、少し気に入らない。
「いっつも店長に任せて、お前はお茶ばっか飲んでんだなぁ?」
おまけにこの厭味ったらしい口調。喧嘩腰にならない方が難しいというものだ。
「労働基準にのっとった休憩をとっているだけです、お客様」
言って勢いのまま怒りに鼻を鳴らした私に、店長は呆れた様子で私たちに声を掛けた。
「喧嘩するほどとは言ったものだけど、顔合わせただけでよくここまで険悪な雰囲気を作れるわねぇ…」
心から感心しきった様子で言うので、仲介にしてはあまりの呑気さに、いつもながら毒気を抜かれてしまう。
「店長も何か言って下さいよ」
可愛い従業員のために!と冗談めかして言えば、いつのまに移動していたのか、ほとんど空っぽになった店の奥の棚を物色しながら、クロウが馬鹿にしたように鼻で笑った。お腹の底の底から、出来る限りの嘲笑を押し出すようにして。ハン、と。
有らん限りの瞬発力をもってして店長を仰ぎ見た。
「き、聞きました店長?!今の聞きました!?」
「…あんたたちも、毎日よく飽きないこと」
そう言って頭を撫でつけながら、視界の端でうろうろと彷徨うオレンジ色と、私を交互に見て苦笑いを浮かべる。つられて私もクロウを目で追ってしまった。当然の如く、目は、合わない。
クロウはそうだ。人を笑い草にするくせに、絶対に目は合わせない。反論は取り合わないと言っているようで、そのやり方は嫌いだ。何より、一方的に見ているという行為が、どこか悲しい気がするのだ。そういう時、必ずといっていいほど起きる胸に刺さる痛みも。
店長がおもむろに首をかしげた。
「あれ、二人とも幼馴染み…だっけ?」
『腐れ縁です』
一字一句違わず、すっかり重なった。話どころか碌に視線さえ合うことがないのに、こういう否定ばかりは簡単に重なってしまう。
振り返ったクロウは店長の納得したような顔を見ていた。無表情と一瞬視線が交わる。けれど数えればコンマの時間で、それは寒々とした棚に意識を戻していった。
そっとポケットに手を触れる。指先から零れた薄い紙の儚い音が、鼓膜から私の心に寂しさを落とした。胸が締め付けられる。耐えるように目を瞑ったのは、無意識だった。


クロウにはいい思い出がない。
サテライト時代から縄張り争いなんて子供染みたことをしていたせいか、見たとおり、あまり仲は芳しい方じゃない。気づけば昔からこの調子だったし、互いに一を十で返したい性格だから一度喧嘩をすれば、むきになって次の日どころか何日でも持ち越した。その仕返しのノルマが日に日に積み重なって、今に至るまで続いているのかもしれない。
こんな関係だから、店長の折角のお節介にも耳を貸さずに否定をした。遊園地に気軽に誘い誘われるような間柄なんかじゃないのだ。

生まれは違う。育った地区も違う。聞いたことがないから知らないけれど、違うと言い切れる。どこで知り合ったかもはっきりと覚えていなかった。
ただ、私の記憶に突然現れるクロウは、今のクロウそのままであることは確かだ。その頃から私もクロウも、何一つ変わっていない気がする。つまりいつの間にか喧嘩をして、いがみ合う仲がずっと続いている。それ以外大してお互いのことを知りもしない、そんなおかしな関係だ。
馬鹿とかチビとか思いつく限りの悪口は言い尽くされた。ネタが尽きた頃には互いに皮肉を覚えて、より憎たらしくなった。取っ組み合いもしたし、所謂流れ弾というものだけど、石をぶつけられた記憶もある。雪が降れば好機とばかりに服の中に入れたがった。
挙げればきりがない。でも不思議なことにクロウのことはあまり知らない。何が好きとか、どこに住んでいたとか、得意なものも、食べ物さえも。こんなに記憶に尽きることはないのに、彼に関することを私はほとんど何も知らないのだ。それに気づいたのは、つい最近になってからだった。

なのに私は、そんなクロウを好きになった。


「あら珍しい」
ぼんやりしていたらしい。店長の声で一瞬の霞から視界が開けた。
「今日はいいことでもあったの?」
声を辿った。レジの前に立つクロウが見える。抱えられたプレートを見て、私も驚いてしまった。レジ前に無造作に置かれたプレートには、いつもいつもサンドイッチばかりと非難していたクロウが、売れ残りのパンを手当たり次第乗せていた。
いや、と店長に首を振ったクロウの口が止まった。一瞬の間の後、突然だ。汚い音が飛び出した。クロウが噴き出した音だった。私とま逆の壁を見て手を当てて耐えているところを見ると、あんぐりと口を開けていた私の顔を笑ったらしい。
「…何よ」
「何がだ?」
「ほらほら、あんたたちもまた喧嘩しないで」
店長がレジのキーを軽く叩いくと、クロウはにやけ面のままポケットをまさぐった。クロウほど人をからかうのに長けた人物はいないだろうと思う。挑発したり馬鹿にしたり、怒らせることに関しては普段の数倍頭が切れる。
憎らしくて仕方がないという風に睨みつけてみるけど、十に一度しか合わない視線が都合よく向けられわけがない。
私の様子を知ってか知らずか店長は、
といいクロウといい、珍しいこともあるものねぇ」
と、やっぱり呑気に感心している。
一緒にしないで下さいと突っ込みたい気持ちも山々だったけど、これ以上店長ばかりに働かせてクロウに小言を貰うのも癪だったので、「はぁ、」と気の抜けた返事だけをして山積みのパンを丁寧に袋に詰めることに専念した。
だから、次の言葉は用意していなかった。心の準備もする必要なんてないと、思っていたのだ。
「珍しいって何かあったのか?」
ひとつだけ大きく心臓が跳ねると、かぁっと、顔に熱いものが込み上げてきた。もの凄いスピードで血が顔まで上ってくる。
まさか、クロウが興味を示すなんて思っていなかった。
「…べ、べつに」
この 三文字で精一杯だった。不意にポケットの辺りが熱を持つ。チケットの入った部分に全身の意識が集中してしまっていた。
無理だ。無理だって。否定の言葉が次々と頭の中へ浮かび上がってきた。自分が期待していることなんて百も承知だ。意識に反して体だけは正直なのだから。その証拠に、チケットを詰め込んだポケットがさっきからずっと疼いている。
「怪しいな」
「別に…なんでもない」
なんでもないと口では言いながらも、胸を覆う衣服は鼓動の大きさを示すように僅かに振動している。顔も熱いし、これじゃあ下を向いたきり、顔を上げられそうにない。丁寧にパンを手に取る。言ってしまおうか。思った途端、胸を貫くような鼓動が鳴った。
パンを袋につめて、そっとポケットに触れた。どうせもう、他に当てはないのだ。いっそ言ってしまおうか。そうだ、言ってしまおう。断られることはもう分かっているんだから、言うだけならタダだろう。それに断られたって、何かが変わるわけじゃない。
今は言う、というより言いたい、という気持ちの方が強かった。それでも言い出せないのは、断られると分かっていても、それを少しでも怖がる心があるからだろう。
胸に籠る熱は、口を開くことを望んでいるのだけれど。



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バレンタインリクエスト『クロウとデートしたいヒロイン』
10/06/14 短編