血潮はぜんぶ知っている

01


 パーティに行くことになった。知り合いからの誘いがあったのだ。
 靴もある。ドレスもある。最近買った化粧道具は肌に馴染んでなかなかに気に入っていて、上手くはないが、踊りも嫌いじゃない。
 それだというのに、いきつけのバールのカウンターに座って、私は憂鬱な気持ちに息を吐いた。問題があるとすれば、どうしても工面できないものがあった。

 誘われたのは二週間ほど前だった。主催者は父の知人の娘だ。同じ高校生だから私と歳も近い。
 しかし相手の父親は大手証券会社の社長で、晩婚で出来た子供というので甘やかされに育った箱入り娘で、勿論苦労なんて微塵もしたことがない。欲しいものは大抵我慢もせずに手に入る暮らしをしてきていて、おまけに見目もいいと来れば、男は放っておかないだろう。男が寄れば華やかな場所には必ず女も集まり、彼女の高校生活とは、図らずも彼女中心で進んでいるのは想像に難くない。
 だから彼女の企画した条件の大体の目論見は想像できる。男女ペアという条件を突き出した後で、懇切丁寧に“無理なら一人でも参加可能”なんて文句で念を押すところから、色恋好きな高校生らしく、優越感に浸れる踏み台の人間を選んで誘っていることは、もはや言うまでもない。
 同年代の私は、彼女に完璧に舐められているというわけだ。是が非でも連れを見つけてギャフンと言わせなければ気が済まない。しかし悲しいことに、私はパートナーなどというものとはご無沙汰だった。

 パーティの誘いをした時、ミスタは明らかに動揺をしていた。優柔不断とは縁遠い男が、目を彷徨わせながら言葉を濁らせていたのだ。断る言葉を探しているのだと、私は勘づかざるを得なかった。
 いつもは即答の男に変に気を使われると、裏切られたような気分になるのはどうしてだろうか。それならはっきり言われた方が気が楽だと思った。
 ちょっとした失恋だった、と茫然自失の気持ちを紛らわすために、その時のことをフーゴへ話したのだけれど、
「あいつにはゾッコンの女がいるからな」
とさも何でもないことのように、重大な爆弾を落とされてしまい、気分は突き落とされるばかりだった。
 こうして私の傾きかけていた想いは、見えない手によって無理矢理に、ゼロの値へ戻されてしまったのだった。

 あれから何日経ったのだろうか。ぽっかりと空いた穴が塞がらない。
 パニーニをお腹に詰め込んでも、シーツに包まっても、可愛い服を買いに出かけても、寒々しさばかりが際立って、何かが物足りないような思いに駆られる。
 やっぱりこれは失恋だったのだろうか。思ってみても、恋だったのかどうかも私にはわからなかった。わからない内に、何もかもが終わってしまったからだ。ただなんとなく、ミスタの背中ばかりが浮かんで、置き去りにされた時みたいな寂しさが、やんわりと胸に膜を作っている。
 もうすぐパーティの日だというのに、パートナーも、まだ決まっていない。

 軽い足音とともにバールの扉が震えた。流れこむ新鮮な空気と一緒に視線を狭い店内へ這わせたフーゴは、カウンターでだらしなく脱力している私の姿を認めると、大股で歩み寄ってくる。
 フーゴが「カプチーノ」と注文を告げる前に、カウンターの親父は右手で制して、“分かってる”と言うふうに唇に人差し指を寄せながら、温めたカップを取り出した。
 フーゴは椅子を引き寄せてから陰気臭い私の顔を認めると、嫌そうに眉を寄せる。
「なんだよ、まだミスタのことか?」
 図星をつかれて睨み返すが、フーゴは小馬鹿にした言葉を続けるだけだった。それも、とびきりのデリカシーのかけらもない言葉だ。
「あいつじゃなくたっていいだろ、そこら辺の男を拾って行けばいいじゃないか」
「何よそれ、ただの淫売じゃない」
「たかがパーティに大袈裟なんだよ、君はさぁ」
 本っ当に役立たず。私が今フーゴに押す烙印はそれだ。だからミスタがいいのだ。この会話を聞いたら、誰だって分かってくれるはず。
 フーゴときたら、最近はどこから仕入れたか知れない錆びついたフィアットにすっかりご執心で、毎日のようにこのバールで顔を合わせるくせに、気遣いらしい気遣いを見せてくれたことがない。
 ガラス張りの入り口からは、軒を連ねた寂れた商店と人通りのまばらなレンガ道がすっかり見える。炒ったコーヒー豆の匂いは、その景色によく似合う、と私は思う。しかし傷心の私には目もくれないくせに、フーゴは窓の外の車を見つめては、何度も深いため息を零していた。
 新入りから押し付けられたものだという話は聞いていた。悔しがる気持ちはわからなくもない。フーゴが乗ってきたフィアットは、路地に駐車したというよりは、乗り捨てられたと形容した方がしっくり来るほど、廃車の体を成していて、自分のことで手一杯な私でも思わず同情してしまうほどに、それは酷い有様だからだ。
 初めてこの店に新顔のフィアットを披露しに来た時、車は間に合っていたのだ、とフーゴは開口一番に零した。
 最近ディーラーを始めたという新入りの男に頼まれた手前、買ってやらなきゃ尻の穴の小さい男だと思われかねない。仕方なく話に乗れば、幹部にいい車を贈るために、フーゴから受け取った金をくすねる形で経費に回してしまったのだと聞く。
 それを知ったフーゴの怒りようは想像に難くない。何せそいつの顔を立ててやるために、元々持っていた車を仲間にくれていたのだ。
 ヤキを入れた後、あの顔のどこから出てきたというような凄みのある声で「2週間以内に新品用意できるよなァ?」と車のキーを喉仏に突き立てる仕草をされたら、誰でも死に物狂いになるというものだ。
「ポンコツに乗ることぐらい屈辱的なことはないな」
 そう零すフーゴに、私は返事をするのも気が重たく、同じようにため息を吐き出すしかなかった。

 ミスタを思えば思うほど、浮かぶ言葉は、フーゴときたら──だ。
 そもそも、この男は女をちゃんと異性と認めているのだろうか。
 かけっこやらつかみ合いの喧嘩をしても、ある程度同等の目線で過ごせた小学校のクラスの女子とはわけが違うのだが、未だにその感覚で生きているような気がしてならない。
 じっとりと睨む私へ向けるのは、「まだパートナーのことかよ」という顔だ。
「別に誰だっていいだろ? 死ぬわけじゃあないんだし、君もない見栄を張らなくたってさ」
 こんなことを、この男ときたら億劫そうに言うのだ。人の悩みを真剣に取り合わずに平気な顔をしている、嫌なやつだ。
「だからあんたって、見かけだけなのよ」
「心外だな」
 そう返すフーゴは最早ラッテマキアートに近いカプチーノへ、親父に頼んで三杯も砂糖を入れさせていたというのに、その上更にパニーニとチョコレートを頼んでから私へ向かって、
「相談料はこれでいいですよ」
などと言った。図々しいにも程がある。本当に嫌なやつだ。

 親父がパニーニをカウンターに乗せる。両手で掴んで、中に挟まった厚切りのハムごとぎゅっと口のサイズに潰すと、フーゴは大口を開けてかぶりついた。レタスがシャキシャキと新鮮な音を立てて、口の中で咀嚼されている。勿論、甘ったるいカプチーノでそれを飲み下す。
 軽食にするには、明らかに摂取カロリーオーバーな量のフーゴの手元を見て、私は顔を顰めた。だからといって、甘いものが好きなわけではないというのだから、不思議な食事風景だった。
「ここのパニーニ、パンの生地がいいんですよ」
「それは、よかったわね……」
 咀嚼しながらのくぐもった声は、私の神経を逆撫でるのに事欠かない。
 幸い、飾り皮の厚いポインテッドトゥのヒールを履いていたので、スネを蹴りあげることも、足を踏みつぶしてやることもできたが、まだ聞くことも聞いていないため、パニーニを頬張る男を横目にようよう耐え忍んだ。
「ミスタ、絶対に駄目なのかな」
「しつこい女は嫌われるぞ」
「それはあんたの価値観でしょ」
 男は噛んでいたパンを飲み込んでから喉を軽く整えて、「諦めろよ」と辟易気味に返した。
 それはパーティに対する言葉だったのか、失恋かもしれない想いへのことだったのか、私には理解できなかった。

 でも一つだけ確かなのは、パーティへ行かないなんてとんでもない、ということだった。
 相手がいないのなら断ればいいものを、こういう企画をする手合は後でどんな偏見を持って陰湿な噂を流してくるか分からないので、断るなんて選択肢はあり得ないのだ。恋愛に興味がなかろうと、明らかに敵意と嘲笑をもって誘われた会場から背を向けるのは、戦わずしてひれ伏すのと同然だった。
 代わりはどうしようか。
 チクリとした胸の痛みとともに、本当は、そんな茶番めいた思考を挟む必要もないとは分かっていた。でも、なるべくならしたくない選択だった。だって仕方ない。ミスタにフラレてしまったのならば、私に付き合ってくれそうな学外の同年代なんて、この最高に気の利かない男しかいないのだ。何を考えているのかわからない、たちの悪い、この男しか。
 隣をちらりと覗う。
 私の葛藤を知ってか知らずか、男は呑気そうにパニーニの最後の一口を口に詰め込んでいる。
 陰気でチャラ臭くても仕方ない。顔がいいだけでも財産なのだ。
 私は肩を竦めた。諦める覚悟を決めなければならなかった。この際、フーゴでも構わないか──と。

*

 高台に建つ豪邸を前にして、ぼくは一層の後悔をした。
 同年代のパーティだと聞いたから、てっきり内輪の小さなものなのだと思っていた。しかし来てみれば、予想とはあまりにもかけ離れている。
 馬鹿にされちゃたまらないと、離れた場所にフィアットを停めて、そこから歩いて坂を登った。途中、通り過ぎる車が多いことは気になったが、同じ行き先とは露も思わない。だからこそ、
「ここよ」
と告げたの言葉に、しばらく声を失ったのは言うまでもない。
 眼前に広がるのは別荘かと見紛う広々とした敷地に、バロック風を意識して手入れされた植木と石畳の敷かれ整然とした庭、玄関ホールを中心に左右にバルコニーを据えた、シンメトリーな邸宅。何より人の数が尋常じゃあない。それだというのに、高校生から学生位の男女がここぞとばかりに香水を振りかけてきたので、すれ違う度に種々様々の匂いが鼻を突いて、香水酔いと動転で気が遠くなる。
 これは本当に高校生のするパーティだろうか。組織の幹部が開くそれと、殆ど変わらない規模だ。
 見渡せば見渡すほどに、嫌な予感がこみ上げてくる。頭を抱えたくなった。
 やっぱり断るべきだった──
 思ったがもう遅い。黙りこんでいたが口を開いた時も、壮絶にそれを感じたのだ。


「じゃあ、お願いがあるんだけど」
 その時のは、目一杯愛想よく声を出したつもりだったみたいだが、こちらからすれば「来たか」という感覚だった。パニーニを頬張ったままあからさまに顔を歪めると、鈍感な女でもぼくの心情を察してくれたようだ。は一変して、拗ねたように眉間に皺を寄せた。
「私だってあんたにお願いするのは出来ることならしたくないの」
 そう思うのならさっさと不吉な“お願い”とやらを取り下げてほしいものだ。
 指の先についたバジル風味のソースを舐めとってから、ナプキンで無造作に手を拭く。親父の特製のソースは週替りで、ぼくはそれを楽しみに通っているが、彼女の方は習性みたいなものだろう。
 ぼくが食後のもう一杯を頼む間も、はこちらにはお構いなしに、“出来ることならしたくない”理由を並べ立てている。
「だって実際ミスタの方が黙ってれば真面目そうでしょ? フーゴは派手すぎるのよ。それに怒ると何するかわからないし、ちょっと説教臭いし、その点ミスタは女に愛想もいい、背も高いし、頼りがいがあって、おまけに顔も……」
「オイオイ」
 勘弁してくれ──と頭を抱えそうになった。
 とてもじゃないが聞いちゃいられない。並べられるのは、ここにいない男に向けた鳥肌の立つ褒め言葉だ。ぼくが遮らなければ、それが延々と続くのが手に取るように分かる。誰が好き好んで、そんな惚気話を聞きたがるっていうのだろうか。
「わかったよ!」
 ぼくは半ば慌てて叫んで、の話を無理矢理に中断させた。
「君がミスタが大好きなのは充分わかったよ、いっそあいつの女にでも頼み込んでみたらどうだ。貸してくれってさ」
「でも……ミスタに迷惑はかけれないもの」
 にとってぼくは、最後に飛びついた藁といったところだろうに、言い切る彼女に、だったらぼくはどうなんだと言い返してやりたくなった。さっきから聞いていれば、人に頼みごとをしておいて、誠意のかけらもない。挙句には、ぼくを責める始末だ。礼儀ってもんがないんじゃないか。
 勢いのままに「ぼくだって迷惑だ」と言おうとしてから、ふと彼女の表情が目についた。眉を曇らせて、うつむき加減にカウンターに目を落としている彼女は、神妙な雰囲気を纏っている。とは一年程度の付き合いだったが、こんなにしおらしい姿は、今まで見たことがなかった。
 その様子に怯んだのだ、と言われれば、否定はできない。ぼくは返しかけた言葉を飲み込んでしまった。
「ついてくるだけでいいの」
「でもなぁ」
 の声を流しながら、のんびりと返事を伸ばす。
 パーティとやらは彼女にとって余程の一大事らしい。巻き込まれている腹いせに、彼女の運命を握っている優越感を少しばかり楽しんでもバチは当たらないとは思うのだが、どうもそんな弱気な顔をされてはぼくだって本調子が出ないじゃないか。
 どうせ、考えているのはミスタのことなのだろう。彼女の悄然とした顔を見ながら思う。
 しかし失恋の傷まで抱えて行きたいパーティとは、どんなものなのだろうか。女の考えることはわからない。

 正直なところ、面倒だった。この上もなく無利益極まりない依頼だ。
 ただでさえ暇じゃあないのに、女同士のくだらないプライド争いなんかに巻き込まれちゃたまらない。色恋くらいで何が決まるというのだろう。パートナーがいようがいまいが、パーティに参加できなかろうが、彼女の生活に支障はない。わかりきっている。
 しかし、そんなわかりきっていることに熱くなる人種を、ぼくは知りすぎるほどに知っていた。
 ふと思った。の戦っているものは、ギャングのそれだ。
 誰それの女が女優似の美人だというだけで男の格が上がったと錯覚しているような、くだらなくて他者から見ればこの上もなく稚拙な結果論に支配された、ぼくの身を置く世界が尊重する矜持とまったく同じじゃないか。
 窓の外は、まだまだ明るい。日が沈むまで、ここに居座っていたい気分だ。フィアットを見ると、変わらず苦々しさが際限なく込み上げる。
 路上に落ちる缶クズを辿って、次に乗ったらタイヤが外れるんじゃないかと疑い続けているボロ車へ目をやり、それからのことを考えた。どうもぼく達の抱える問題に、共通点が皆無というわけではないらしい。
 そうか、舐められたお礼参りをしたいのか──とぼくはようやく彼女の意向に興味を抱いた。
 些か親近感が湧き、へ顔を向ける。彼女は合わせたぼくの目に気の緩みを悟ったのか、決め手とばかりに眉を下げる。いつもより高めの声が、丁重に言葉を紡いだ。
「ね、いいでしょ?」
 “お願い”とは、ずるい響きだ、と思う。もしこれを断ったら、恋にも女の勝負にも負けたはさぞ気落ちするだろうな、と要らないことまで想像させる。
 結果としてが続けた最後の一言は、半ば無理矢理に、ぼくの喉から承諾の言葉を引っ張りだしたのだった。


「ちょ、ちょっと待てよ」
 さっさと敷地を歩こうとするへ、ぼくは思わず声を上げた。数人が振り返るが、肝心のは、ぼくが大股に追いつくまで止まろうともしない。
 よく刈られた植木には電飾まで施され、この日のために雇われたのかもしれないが、使用人らしき男女が広場を行き交っている。
 屋内から心地の良い弦楽も流れてくるが、まさかこれも雇ったわけじゃないだろうな、と思いながら、急いで彼女の隣へ並ぶ。絶対に“普通”の高校生の友達じゃあない。は、こいつは確実にぼくに何か隠し事をしている。
「こんなパーティだとは聞いてないぞ! 一体主催は誰なんだ」
「だから知人よ……父の」
 ぽそりと付け加えられた言葉に、ぼくは呆気にとられた。父親? 父親だって? 唖然として、咄嗟に声が出てくない。
 知り合いと言っても、と彼女の父親じゃあ、話がまるで変わってくる。下手をすると、ぼくの立場が危うくなるところだ。
 という幹部がいる。港の密輸を取り締まっていて、組織では珍しい移民の男だ。極度の愛妻家でも知られていて、たまに家に部下を招待しては妻の手料理を自慢するのだが、はその男の一人娘だった。
 ぼくは他の構成員と同様に、とはその伝手で出会った。勿論、ジョルノ直属のミスタは真っ先に招待されているので、ぼくよりも先に彼女と知り合っている。
 そしてジョルノから言い渡された現在、その男の下で管理を任されているのが、ぼくなのだ。だからは、ぼくの上司の娘ということになる。
 この豪邸の中庭に立って、周りは組織のお友達ばかりかもしれないと突然に知らされたら、油断しきっていた手前、焦りたくもなるだろう。
「……どうしてそれを先に言わなかったんだ」
「だって、言ったら来ないでしょ? フーゴにも断られたら、困るもの……」
「困ってるさ、現状、ぼくがね」
 幹部の知人だというなら、来客にぼくの顔見知りだっているに決まっている。下手なことでもして余計な噂が流れでもしたら、さんのメンツも潰れかねない。その責任は他でもない、ぼくが取らなければならないのだ。
「いいじゃない、すぐに帰るんだから」
 いいわけがあるか、と叫びたくなるのを必死で堪えた。もう、会場に入ってしまっている。なるべくなら目立ちたくはない。
「さあ、行きましょ」
 開け放たれたホールを前に真顔になったは、とてもじゃあないが、穏便に切り抜けようという雰囲気ではなかった。もう彼女の方は「待て」と言って聞く雰囲気ではない。
 しまったな、と思った。同情したばかりに、面倒なことになった。
 黒のYシャツに合わせたネクタイをギュッと締め直し、スーツの埃をそっと払う。もしものためにと、カジュアルなスーツを着てきたのは正解だったようだ。
 すっかり臨戦態勢の連れの後を追いながら、ぼくはいよいよ後悔の念を強くした。

 両開きの玄関を潜って中に入ると、吹き抜けのエントランスホールはどこから来たのか知れない若者で賑わっていた。
 この中に組織と関わりのある人間がいるかもしれないと思うと、気が気じゃない。と恋人を装っているのもいい状況とは言えなかった。
 しかしの方は、自分から気合を入れていたくせに、足を踏み入れた途端にホールの雰囲気に思わず感嘆している。
 内装は広さの割に落ち着いていて派手さはないが、その代わりに磨かれた手すりを辿って天井を見上げれば、黒光りした木造の梁が覗くような凝ったデザインになっている。石のブロックを積み重ねた組積造は、遠目には貴族の屋敷を改築したのだろうかと思わせたものの、積み方が均一で色も新しく、最近建て直したのだろうと思い至った。
 ひと通り眺めた後、毒気を抜かれていたことに気づいたらしいは、自戒するように咳払いをしている。彼女の気が収まるのを待っていたぼくは、我慢するほどなら、このまま適当に楽しんで帰ればいいじゃないかと思ったが、やはりそうはいかないらしい。
 はぼくの胸に軽く指を押し当てて、念を押してきた。
「フーゴ、間違っても絶対にナンパなんかしないでよ、いい?」
「誰がするかよ」
 明らかに言う相手が間違っている。
 ミスタじゃあないんだから、という言葉を飲み込んで鼻を鳴らせば、それがにはぞんざいに映ったらしい。彼女は不満そうに口をすぼめると、「カップルらしくしてよ」とわざとぼくへ腕を絡めてきた。
 ぐっと詰まった。が着ているネイビーを基調にしたフレアドレスは、襟から胸元までがレースで覆われていて、彼女が動く度にチラチラと肌の色が覗く。考え過ぎかもしれないが、そうやって近寄られると、上から見下ろした時に見てはならないものが見えてしまう気がするのだ。
 しかしぼくの葛藤をよそに、振りほどくことは出来ない。ここで振りほどいたら、は恥をかくことになるからだ。
 唸りそうになる声を殺して遠くを見つめていると、俄に視線を感じて、二の腕の辺りへ顔を向ける。が眇めた目でぼくを注視していた。
「……なんですか?」
 迷惑だという気持ちを込めて敬語を吐き出す。しかし、そんな遠回しな嫌味を彼女が素直に受け取ってくれるはずもなかった。
「フーゴって、もしかしてベアトップが好きなの?」
「……は?」
 聞きなれない単語に眉をひそめる。
「なんだって?」
「オフショルダーとか、ベアトップとか、肩が出てる服のこと」
 ぼくが女性のファッションに詳しいわけがない。
 好きなの? ともう一度彼女が尋ねた。そうしてから、先ほどぼくがぼんやりと目を向けていた先へ視線を送って、
「じっと見つめてたから」
と言うのだ。訝しみながらもつられて彼女の目線を追ってみる。の言う、ベアトップのドレスを着た女の群れが目に飛び込み、ぼくはを振り返った。彼女はぼくの顔色を見て、にやにやと口に笑みを浮かべ始めている。彼女がルージュの乗った唇をにんまりと動かした。
「見てたでしょ、胸」
 不覚にも、頬が紅潮した。
 からかわれたのだとは分かっている。でも、確かに考えていたことは間違っていなかったのだ。本人に咎められたようでバツの悪い気持ちがこみ上げて、結果、情けない表情を晒すことになってしまった。
「馬鹿、からかうなよ……!」
 焦りを誤魔化して顔を背ければ、は浮気を咎めるかのような口調で「次はないわよ」と責めてみたが、その内に彼女も堪えきらなくなったのか、声を上げて冗談っぽく笑った。



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14/03/24 短編