
01
テーブルの向かえ側に目を遣って、アバッキオは舌打ちを隠さなかった。がこちらへ落ち着きなく視線を送っては、何を言うでもなく白々しく目を逸らすのである。
アバッキオが許したわけではない。店員が相席を願って案内してきたのだ。油断をしていた。考え事をしていたのがいけなかった。
というのも、運という言葉が頭から離れなかった。運は金と似ている。最近になってよく思うのは、不幸が続く者もいれば、幸運が湯水のごとく湧いてくる者もいるということだ。けれど金と違うのは、どちらも決して、一人のもとに延々と留まったりはしない。
一昨日カジノでイカサマをした男も、運に見放される時を迎えていた。そもそも、本当にうまくいっていたのかはわからない。
アバッキオが殴る度に男は気絶をし、こういったことに慣れていると感じさせたからだ。そのお陰で何度も水を頭から被せて目を覚ましてやらなければならず、アバッキオは傷めつけるのに苦労をした。
外へ放り出す頃合いだと手を休めた頃、カジノの経営者である幹部が部下を数人引き連れて、男の女を引きずって倉庫へ現れた。女の顔は蒼白で、耳を澄ませなくとも、歯がガチガチと擦れる音がアバッキオにも聞こえた。
シルクのスーツに身を包んだ幹部は、アバッキオが怪我をさせた部下の責任を取らせると、ブチャラティへ命令をした男だ。“責任”という言葉をよく好んで使っては、失敗の落とし前は必ず付けさせることで有名だと、アバッキオはフーゴから聞いていた。
その男が直々に倉庫へ現れ、椅子に縛られた男の足元の冷たいコンクリートへ女を放って、片方の手に握っていたペンチをアバッキオへ差し出した。一瞬何のことか分からず、アバッキオは幹部の手を凝視した。
数秒しても受け取らないアバッキオに男は眉を寄せた後、顔を確認してすぐ納得したように鼻を鳴らした。
「そうか、トロくせーと思ったら、テメーは新入りだったか」
幹部はスーツの上着を脱いで、アバッキオに投げた。腕まくりをした幹部は、軽く血を流して気絶している男を殴って起こすと、アバッキオに男のズボンを下ろすように指示をした。男だけではなく、アバッキオまで体が強張った。ペンチの使い道が、ようやく分かったからだ。
「ブチャラティの小僧に言っときな。俺に部下を寄越すなら、拷問の仕方くらい教えてからにしろってな」
幹部がそう言うと、女が気が狂ったように泣き叫んだ。暴れたために部下が二人がかりで女を押さえ付けたが、アバッキオは思わず目を逸らさずにはいられなかった。部下でさえ顔を顰めているというのに、幹部は少しも顔色を変えはしない。地獄のような悲鳴が倉庫に反響して、その夜、男は男としての尊厳を失った。
翌日になって報告すると、アバッキオの声に覇気のないことに気づいたブチャラティが、それでもまだ軽い方だと忠告するように言った。アバッキオの反抗的な性格を危惧したのかもしれない。
「だが安心しろ、ああいうキレた人は特別だ」
と言われたが、アバッキオもその日男と同じように、否が応にも組織の報復の仕方を心に刻まなければならなかった。
男の方は他のカジノでも、同じ手を使って幾度かくすねていたらしい。そうしたばかりに、パッショーネの幹部へ送られたリストに名前を記され、男の幸運はここで終わり、その運は組織の手に渡った。
そうして恐らく今、アバッキオもそのお零れを消費して生きている。
その光景が頭から離れず、唾棄する思いを抱えて憮然としていたので、女の存在に失念していた。気づいた時にはすでに、女はアバッキオの前に現れていた。それもプランツォで賑わうバールで、珍しく真面目そうな店員を引き連れてだ。
まだ口もつけていない、運ばれてきたばかりの温かいグラタンが手元にあって、相席を「宜しいですか?」と店員に言われているのに席を立てば、あまりにもあからさますぎる。まるでアバッキオが駄々をこねるようになるので、仕方なく女を促すしかなかった。自分のプライドが高かいことは承知していた。大体いつもそれで失敗をすることもだ。
アバッキオが頷くと、不機嫌な様子を気にもとめず、女は満足そうに椅子を引いて座った。
「やっとお会い出来ました」
そう言って女は何が嬉しいのか、アバッキオに向かって息をつくように笑った。嫌っ気がさした。自分の皿を手前に引き寄せながら、椅子を斜めに座り直す。そうすれば少しでも女の顔を見ずに済む。
「どうしていつも避けるんですか?」
そういう女はどうしてアバッキオを追い回すのだと問いただしてやりたかったが、女の長話を許可することになりそうで、そちらも気に入らない。
代わりに、
「テメーがギャングに目をつけられてるのを知ってるのか?」
と睨みながら言えば、は驚いたようにアバッキオを見つめ返して、深刻そうに口を閉ざした。
あながち間違いではないが、女を脅すには十分だったようだ。このまま不自然につけられ続ければ、アバッキオの言うことも起こりうるだろう。何より女のせいで、上司から要らぬ疑りを受けることが不本意でならなかった。
アバッキオはカジノへ行く前には一度、いつもリストランテへと寄っていた。夕方は集会所を兼ねていて、ブチャラティに用がある客は大抵ここか別の事務所へ顔を出す。
そのリストランテを出る前にブチャラティに引き止められ、厳しい顔で念を押されたのだ。一昨日、に追われているのを、ブチャラティに見られた日だった。
「あの女につけられないようにな」
「あの女……?」
とぼけたが、アバッキオにはそれがのことだと分かっていた。
アバッキオがふざけていても、ブチャラティは有無を言わせない様子で続ける。昼間のことが、余程気にかかっているようだった。
「立場がわかってねーのか?」
と、ブチャラティは低い声で言った。
「ただでさえお前は疑われてるんだ。あのカジノは俺のシマじゃあない。最近はカネ目当てに警察に寝返る下っ端が多くて、幹部たちは気が立ってる。お前の知り合いならまだしも、急に得体のしれない女と接触してると知れれば、ネズミじゃないかと変な勘ぐりを受けることになるんだぜ」
「俺だって知りゃしねーよ」
危険を承知しているのか、と言われれば頷くが、女がどんな人間かを聞かれたら、肩を竦めるしかない。
「お前の過去を組織に洗いざらい知られたくなかったら、てめーで女の素性を調べることだな」
ブチャラティを信用してはいなかったが、男がこの組織で生き抜いてきたのだけは確かだ。
アバッキオにとって、組織なんてものはどうでもいい。ブチャラティのように、身を捧げようなどとは思っていない。潰れてしまえばいいとさえ思っている。
だから、組織の大損をしでかして殺されるならまだしも、つまらない疑いで裏切り者として粛清されるのだけは御免だった。
「分かったよ」
と承諾してカジノへ向かったが、その道中幾ら頭をはたいても、女のことはチリひとつとして出て来なかった。
知りはしない。嘘ではなかった。は、ギャングとは無縁の人間だ。アバッキオが知っているのは、たったそれだけだった。
その声が聞こえたのは、エノテカバールのカウンターの隅で、リガトーニのカルボナーラをつつきながらワインを飲んでいた時だった。ひと月程前のことだ。
「あの」
とおずおずと言った風にかけられた声は近く、薄暗い照明がついた店内を見渡しても、アバッキオの周りには二人客が多く、他に待ち合わせている風な人間もいなかった。
カウンターに片肘をついたまま、顔だけで猫背越しに振り返ると、そこには小柄な女が立っていた。目が合ったので人違いではないらしいが、見覚えが無かった。
女はアバッキオの顔を見た途端、緊張していた表情をほどいて、胸を撫で下ろしたように微かに笑みを浮かべた。
「アバッキオさん、ですよね……?」
驚いたことに、こちらは見覚えがないというのに、女はアバッキオと顔見知りらしい。警戒心が頭をもたげた。
「ああ……」
と返しながら記憶を探っても、ピンと来ない。アバッキオは記憶力の悪い方ではなかった。疎遠な知り合いだろうと既視感くらいは覚えるはずだが、女に対して初対面のそれと全く同じ感覚しか浮かばなかった。
フォークを置いて、カウンターから上体を上げる。女へ体を向けようとすると、組みが粗いせいで不安定な椅子がギシギシと鳴った。
「昔助けて頂いたと言います」
言われてもやはり、見覚えはなかった。
出来るだけ知り合いなどと名乗る人間とは関わりたくなかったので、適当にあしらって追い返したのだが、という女はアバッキオの元へ何度も訪れた。行きつけのバールを人づてに聞いて探し当てたのだと言う。
確かにアバッキオの長髪は目立つので納得もできるが、ネアポリスはイタリアでも屈指の人口が集まる過密都市だ。その中をわざわざ一人の男を探しまわるなど、普通ではなかった。執念のようなものを感じて、一方的にこちらのことを知られていることもあり、アバッキオの警戒心はますます強まっていった。
「覚えていませんか?」
あまりにしつこいので、仕方なく一度女の話に耳を傾けると、どうやら一年前、アバッキオが警察に入りたての頃に助けたらしい。どんなに言われようとも、女の顔は記憶にはない。
己の容貌が様変わりしていることは自覚していたので、勘違いではないのかとアバッキオは何度も女へ投げかけた。いい加減目の前から消えて欲しかったのだ。それでもその度に、女は間違いないと強く首を振った。
「今度、お礼がしたいんです」
と女が言った時、アバッキオは咄嗟に、頭の中で思い浮かぶ限りの自己防衛に使える武器を並べた。いかにも怪しかったのだ。女の目的への悪い予感へ身構えた。
アバッキオは出所してからの数ヶ月は、自暴自棄になって相当暴れまわった記憶があるので、どこかで恨みを買っているだろうことは自覚していた。そういう人間が、女を買ってアバッキオのもとに仕向けてきてもおかしくはない。ゴロツキばかりが屯する場所を好んで狙ったので、いずれそういう輩も出てくるだろうとは思っていた。
何より女はどう見てもこの国の人間ではなく、それが金で動く売春婦の可能性をアバッキオに危惧させた。
「アバッキオさん」
と呼ばれて、グラタンから視線だけを女へ移す。騒がしいバールには曲もかかっているが、結局は人の声に紛れて聞こえない。しかし、女の声はしっかりと耳に届く。
「あの……」
ギャングに目をつけられていると言ったアバッキオへ、女は逡巡してから、おずおずといった風にアバッキオを窺った。
「心配して……くださった……んです、か……?」
もしかして、と女が小さく呟く。ギャングの名を出した時には青い顔をしたくせに、何を思ったのか自分で言った後、女は少し耳を染めて俯いた。
唖然とする。アバッキオはグラタンをフォークに突き刺したまま呆れ返って、横向きに女をまんじりと見返してしまった。
ゴロツキに雇われたのだと、そう思っていたのだが、アバッキオを追いかける女はどう見ても野暮ったくて男慣れしていなかった。この時になってアバッキオは、女の行動がただの行き過ぎたお節介だと気づかざるを得なかった。ブチャラティではないが、アバッキオにも女がとても嘘を付いているようには思えなかったのだ。
刑務所に少しでも入っていると、顔から人の腹というものが見えてくるようになる。何か腹に一物抱えていると、直感するようになる。だが警官時代のアバッキオを思ったままで接しているからなのか、女にはこれっぽっちもアバッキオのような警戒心がなく、下心すら感じられない。
お礼がしたい、と前に女は言った。アバッキオには不意に、それに偽りはないのではないかと思えた。しかし、だからといって追い回してもいい理由にはならない。そのせいで組織内で崖っぷちの立場を更に危うくしているのだから、女をどうにかしなければ、あのイカサマ師のような最悪の未来が待つことになる。
最も苛立つのは、女が“警官のアバッキオ”を追ってきたということだ。
一体俺はこの女にどんなことをしてやったのだろうかと気になったが、今更警官時代のことなど聞く気にもなれない。
アバッキオは出来るだけ早く過去と決別したいのだ。過去のない場所へ行きたい。罪悪感を覚えずに済む場所へ、早く。
「私もグラタンにしました。ここの、美味しいんですか?」
脅したというのに、女はもう忘れた顔でアバッキオのグラタンを無理やり覗き込んでいる。アバッキオは顔を顰めながら、ワイングラスをひっ掴んで喉に一気に流し込んだ。
気楽でおめでたい頭をしている。こういう女もいるのかと思った。今日はどうやって女を巻くか考えながら、アバッキオはそう思うしかなかった。
三ヶ月も経てば、港のアパルトメントで負った怪我も申し分なく治る。痺れや痣も完全に消えたと思い始めた頃、それを聞いたブチャラティが突然、
「お前は随分と運が悪かったな」
とアバッキオの過去を振り返って、何故かしみじみと言った。
「自業自得かもしれないが、世の中にはもっと上手くやっている奴はいるからな……だがお前はそう割り切れなかったんだろ? 良くも悪くも中途半端ってことだ」
知ったふりをするこの上司を、アバッキオはどれだけ殴り倒してやりたかったか分からない。
「どうしてポン引きにとどめを刺さなかった? 殺す暇ならたっぷりあったはずだ。大義名分もな」
答えずに口を噤んだアバッキオを気にせず、ブチャラティが続けた。
「お前は一体どこだったら生きていけたんだ?」
分からなかった。男の質問は初めから何もかも、アバッキオには答えられないものばかりだった。
どうしてブチャラティがアバッキオの話などをしたのか、その理由がわかったのは、フーゴが閉店の札を出したばかりのリストランテへ飛び込んできてからだった。
「信じられるか?!」
大声で店のドアを叩き開け雪崩れ込んできたフーゴは、全身がずぶ濡れで、いつも神経質にセットしている前髪までもかき上げねばならず、丸出しの額に青筋を立てながら、外から蹴りこむようにして男を店内に押し込んだ。
押し出された勢いによろけた男の、安っぽいTシャツとジーンズも水浸しで、動く度に水滴を店内にまき散らしている。ブチャラティが無罪判決を出させたという、件の男だろう。被ったニット帽の下からは太い眉と、メリハリのついたラテン系の顔が覗いている。
「なんだ、どうした」
リストランテの報告書を眺めていたブチャラティが、フーゴの剣幕に書類を置いて椅子から立ち上がった。
それにフーゴが、待っていたと言わんばかりにまくし立てる。男の襟首を掴んで、罪人のように前につきだした。
「こいつアホ面をしているから、見た目通り馬鹿をして、絶対にライターの火を消すだろうとは思ってたんだ……! 案の定刑務所で没収されかけて……ってそんなことはいいんだ! どうせ再点火するなら、次の面会の直前に“ぼくが見てない時に点火をしろ”と言ったんだ……それなのにこいつと来たら……ッ!」
ブチャラティの指示で、昨日男を迎えに行ったフーゴは、一晩アパルトメントに泊めてやってからポルポのいる刑務所へ面会に連れて行く手筈だった。しかし今は怒りからか、完全に冷静を失っている。
少年らしくない支離滅裂な話に、ブチャラティが待ったをかけた。
「落ち着けフーゴ、見たところ濡れてるだけで無事なようだが、何か被害でもあったのか?」
幹部のポルポが全てを請け負っているパッショーネの入団試験は、誰に対してでも内容が統一されていて、“丸一日ライターの火を消さずにいる”という、話だけを聞くととても馬鹿らしく、それでいて無茶な課題だ。
指定の人間を殺して来いとか、密輸の手助けをしろとか、そういったものでないにもかかわらず、それでも死人は後を絶たない。
アバッキオにはその理由は知り得なかった。己はライターを再点火した後、知らぬ間に気を失ったからだった。フーゴが何故取り乱しているのかは、アバッキオには不可解な光景として映った。
男は襟を掴んでいるフーゴの手を振り払い、ずぶ濡れの頭から滴り落ちてくる水滴を拭っては、
「ま、待ってくれ! 被害なら大有りだぜ……! この穴あき小僧に海に蹴り落とされた」
とブチャラティに向かって訴えるように声を出した。
「そ、そりゃあ、俺には助けて貰った恩はあるが、なんだってライターつけただけで溺死させられかけなきゃならねーんだよ……」
「お前は黙ってろ」
フーゴが唸るように男へ言い放った。怒らせていた肩が落ちてくる。落ち着きを取り戻してきたようだった。
ブチャラティはアバッキオへ手を振って、タオルを持ってくるように指示をした。突き当りの厨房のドアの隣に、仮眠室がある。そこへ入ってアバッキオが大きめのタオルを取り出す間も、ブチャラティ達の声が聞こえた。
「“溺死”と言ったな……? まて、それじゃあこいつはちゃんと矢に射抜かれたわけだな?」
「ええ、ぼくは咄嗟に目を瞑ったので見ずに済みましたが、こいつはそれで気絶して……お陰でぼくまで海に飛び込まなきゃならない羽目に」
ピンピンしている男を見て、ブチャラティは「やはり間違いじゃあなかったようだな」と呟いて、椅子に腰を下ろした。
些か現実味に欠けることだが、ライターについて、パッショーネの構成員の間でまことしやかに囁かれている噂がある。
ライターの火を消して再点火すると“矢を持った亡霊”が現れて、その人間を刺殺していくというのだ。
そんな話を鵜呑みにしたことはないが、アバッキオが自室でライターを再点火した時、胸を突き刺すような痛みが走って、どうやら意識を失ったらしい。
確かに、前日にブチャラティから港で受けた暴行で弱りきってはいたが、唐突に気絶するなど自分では信じられないことだった。しかし次に目が覚めた時には、事務所の上階にあるブチャラティのアパルトメントのベッドで目を覚ましたので、話を信じるしかなかった。
ブチャラティはアバッキオが目を覚ますなり「何か起きたか?」と聞いてきたので、アバッキオは痛む体を抑えながら、
「ライターの火が消えちまったから点けた……俺は失格か?」
と聞き返した。昨日の痛みが今になって来たのだろうと、アバッキオが激痛がしたはずの胸を抑えると、男はじっと、起き上がったアバッキオの様子を観察するように見た。それは手を当てた胸に、注がれていたように思った。
しかし暫くするとブチャラティは、
「どうやらお前は、トロ臭い野郎のようだな」
と言って、どこか納得したような表情で寝覚めのコーヒーを差し出してきた。のどが渇いていた。アバッキオはそれを有難く受け取ったが、一口含んであまりの苦味に噎せ返った。
アバッキオが咳き込んでいるその間もブチャラティは労るでもなく、やはり男の静かな目を向けながら、無言で眺めているだけだった。
「また病院へ連れてってやる。骨と内臓が損傷しているはずだ……暫くは入院だろうな。俺はそういう風に殴ったからな」
アバッキオを言葉通り病院へ送り届けて病室を用意させると、自分はポルポの元へ、事の次第を報告しに行ったようだった。
ブチャラティの手配か、試験を失敗したはずのアバッキオは無事に入団が認められ、そしてそれ以来ポルポには一度も会っていない。しかし、あの下らない試験で死人が出ているのは確かだ。ポルポという男が何らかの手を使って構成員の選り分けをし、不要なものは容赦なく殺害しているのだと、アバッキオは認識せざるを得なかった。
噂の真偽はどうであれ、フーゴの慌てぶりを見ればずぶ濡れの男もまた、アバッキオと同じような慌ただしい体験をして来たばかりに違いなかった。ライターの再点火に何か生死を分ける重要性があるらしいが、アバッキオにはそれが何であるのかさっぱり分からない。どこかで組織の殺し屋が、受験者を見張ってでもいるのだろう。
フーゴに一度、どうやってライターを使って生かす者と殺す者を選別しているのか尋ねたことがあるが、
「あなたに話しても分かるかなァ」
と億劫そうにため息を付くだけで、「死ぬのは組織に不要な人間なんでしょう」と適当に答えにならない回答をするだけだった。
とにかく、グイード・ミスタと名乗る男は、アバッキオと同じく試験で殺されずに済んだ。ブチャラティはその事実のみを受け入れたようだ。その日からミスタはブチャラティのチームに組み込まれた。
チェーナの場でパッショーネの教訓を叩きこまれたミスタは、つい数日前まで善良な市民だった癖に、何を聞いても学校の授業のように頷いて、驚く素振りも見せずに従う意思を見せた。
運の悪い男だ──
と先程ブチャラティが自分に言った言葉を思い出して、男に対しても同様に思い浮かべたアバッキオは、考えを改めなければならないと瞬時に感じた。
ミスタは誰が見てもツイていない男だというのに、当人はケロッとしていて、組織に入ったことを幸運とすら感じているような呑気な顔をして、ピッツァを頬張っているのだ。言葉遣いに緊張は見られるので、環境が変わったことは認識できているのだろうが、男が入ったのはギャングだ。少しでも不安に思っているなら、ピッツァとワインを両手に持って行儀悪く頬張ったりは出来ないはずだった。
元が心臓に毛が生えているようで、運がどうのというのを、男を基準に考えるのはやめたほうがいいと、アバッキオは思った。
アバッキオの視線を受けて、ミスタが咀嚼しながら椅子を隣へ引きずってきた。呼んでいると勘違いをしたらしい。
アバッキオは目付きが悪いので、見つめられた人間は初対面では睨んでいるとしか思えないはずなのだが、ミスタという男は人を疑うことを知らない性格のようだった。
「あー……あんたはどうしてここに?」
と多少の気遣いを含んだ声で話しかけてきて、アバッキオは病院の待合室を思い出した。整形外科は、他人の病名をやたらと聞きたがる話し好きが多い。ギャングもある種の病気かもしれないとアバッキオは思った。
「組織のダイヤを盗んだ」
詮索されるのは好きではない。面倒を避けるために簡潔に答えると、ミスタは目を丸くした後、「よく殺されなかったな!」と興奮したように口笛を吹いた。本当に呑気な男のようだった。