
01
イタリアにおいてギャングとは、存在そのものが違法である。
結社したボスや幹部は4年以上9年以下、犯罪組織と知っていながら入団した構成員には、3年以上6年以下の懲役刑が課される。つまりまだ麻薬取引をしていなかろうが密輸をしていなかろうが、恐喝も詐欺も一切犯罪に手を染めていなくとも、そういった反社会的な行為を目的としたグループを組織し、また加入すること自体が、この国では非合法なのだ。
フラヴィオは子供ではない。南イタリアで生まれた政治家だ。何が違法かは分かっている。それでいて己の出世と利益のために、ギャングの幹部を知りながら見過ごすばかりではなく、取り引きをしている。
そういう男が、ネアポリスの政治を任されている。勿論それもギャングの力によって得られたポストなので、国でも市民でもなく、ギャングに任されていると言った方がいい。お陰でイタリアの密輸拠点のここは、ギャングの巣窟だ。
そして市民ばかりではなく、資金を与え男を育てた組織にさえ、約束を破ろうとしている。男を守っているのは、ただひとつの簡単な、“上納金”の支払いだけだというのに。
ブチャラティチームがポルポの命令によってフラヴィオの監視を始めてから、一週間が経った。
司令されたその日から、フラヴィオの自宅には盗聴器とカメラを仕掛けてある。全ての部屋を隈なく監視できるよう、どういう手段を使ったのか知らないが、トッレ夫妻が外出の時間を見計らって、ブチャラティとフーゴが家宅に侵入して設置をした。地下室でもない限り、これでフラヴィオの行動を漏らすことはない。
見張りにはミスタが抜擢された。まだ入団して一日も経っていない男にやらせるなど、アバッキオにはブチャラティの判断は気が狂ったようにしか思えなかったが、フーゴでさえも、今はミスタが適任だと、S&Wのリボルバー銃を手渡して言った。
「いつも見張りはナランチャ……もう一人の部下だ。そいつに任せているんだが、今は手が離せない。お前は遠隔型のようだから、急だが、その能力は実践で覚えてもらうしかないな」
アバッキオには意味の読み取れない言葉が多かった。疑問に口を開きかけたところで、
「肝心な時にいないやつだ」
というフーゴのため息に遮られて話が先へ進み、その機会は失われた。射撃のことだろうと、アバッキオも深く気にはしなかった。フラヴィオの動向によっては、もしもの時に使うのかもしれないと、自ら納得をした。
フラヴィオ関係者のギャングとの繋がりを洗うのは、ブチャラティとアバッキオがやった。しかしフーゴは、些か不満そうにしていた。
「こいつにやらせるんですか? 大丈夫なのかなァ……」
と小首を傾げるのだ。ブチャラティはそれに、心配いらないと笑った。
「ミスタにはお前が必要だ」
フーゴは男の言葉にやはり肩を落として、「お目付け役が板についている」と愚痴を零した。
残ったのは、フラヴィオを追い詰める最大の一手である、組織の“友人”の殺害だ。
血なまぐさいことは大体、足がつかないよう仲介を設けて金でチンピラを雇うか、必ず仕留めたい標的なら、組織の殺し屋集団である暗殺チームへ幹部から司令が行くのだが、今回の件はポルポへ一任されたために、“友人”の始末もポルポの部下が行うことになった。
それをやるのはブチャラティだ。男は殺しに長けているらしい。余程自信でもあるのか、指名がない限り他の部下にはやらせなかった。
「つまらないことだ」
と言って出かけては、次の日には何事もなかったかのように、ライラックに似たコロンを漂わせながら、いつものパリっとしたスーツで現れるのが常だった。だから今回もそうなのだろう。
男にとっては、組織から来る殆どの仕事が“つまらないこと”のようだった。謎の多い男だとしても、少なくともアバッキオにはこれだけは言葉通りに見えた。
そうして一週間は何事もなく過ぎて行った。フラヴィオはまだ目立った行動は見せていない。
も相変わらずで、アバッキオの居場所を突き止めては、待ち合わせでもしていたかのように頻繁に引き止めた。
アバッキオはカジノの仕事のなかった日には、毎朝5時には起きて何をするでもなく、眠気が覚めるまでただただ部屋で呆然としている。一日三回ワインを飲み、プランツォには決まったバールで食事をとる。カジノの仕事の前には必ずリストランテへ顔を出し、アパルトメントへ帰ったら何よりも先にシャワーを浴びる。
そういう日課に正直なアバッキオの行く場所など決まっているので、一度突き止めてしまえば、追うのは簡単なのだろう。
それにはどうやら事務所の近くに住んでいて、更にアバッキオの行きつけのバールもそれほど遠くはない距離にあるのだから、昼時にバールをちらりと覗き込んでアバッキオの姿を見つけるのも、何も不自然ではなかった。
中部にいた頃などは、隣の家の親父と一日に三度も同じ店で顔を合わせることがあった。カゼルタでは顔見知りだからとアパルトメントを教えてやったばかりに、一人暮らしの老人に付きまとわれて、さんざ話を聞く羽目になったこともあった。の行動というのは、アバッキオにはそれと何ら変わりないように思えた。
もしかするとは分かっているのかもしれない。女を避けるために通っているバールから遠ざかることは、逃げたことと同じだと思っているアバッキオのプライドの高さを、しっかりと見抜いているのかもしれないと、アバッキオは思った。
それほどまでにあっけらかんとして、アバッキオがどんなに不機嫌にしていても、話しかけてくる女からは少しの遠慮も悪気さえも窺えなかった。
「今日は何を食べているんですか? ハンバーグ?」
いつもこういった調子で、世間話でもするように向かえ側の席へ腰を下ろすのだ。
カウンターに座れば隣へ腰掛け、隣の空いていない場所にいたとしても、わざわざ声をかけて「調子はどうですか?」などと挨拶をしてくるので、気のいい一人客は知人なのだと思い違いをして、大抵のために席を譲ってやる。
「テメーは狙ってやがんのか」
今日も混雑するバールの席を勝ち取ったは、自分を見もせずに不機嫌に言ったアバッキオへ「えっ?」と視線を寄せると、暫く考えてからはにかんで頷いた。
「だってアバッキオさんのいる場所、わかりやすいんですもん」
暗にアバッキオのことを単純だと言っているのだが、屈託のない笑みを浮かべる女は、それに気づいているのだろうか。
趣旨も変わっている。そういう意味で聞いたのではないと思ったが、アバッキオの疑問の一つは予想通りの結果として解決したので、改めて聞くのはやめにした。
答えたというのに何も返さないアバッキオに不安になったのかはしらないが、返事を待つように横顔を窺っていたは、急に「あっ」と小さく声を零した。手いじりをしたり頬をかいたりと忙しなくしているかと思うと、何故か照れたように俯き加減になって、
「いっ、いや、わからない時のほうが多いんですけど……たまにピンとくるというか……ッ!」
などとしどろもどろになりながら弁解を始めた。
「何騒いでやがる」
アバッキオは頬張っていたハンバーグを飲み込んで、落ち着きのない女へ一言放った。へは見向きもせずに「うるせぇ」と続けて言ってやると、女はピタリと動きを止めて、しおれたように静かになった。
騒いでいたものが大人しくなると、不思議と気になってくるものだ。アバッキオはちらりと女へ目をやった。白いクロスのかけられたテーブル越しには、ほんのりと頬を染めたが、唇を柔らかくすぼませながら後悔するようにうなだれていた。
ったく──
ワイングラスを掴んで、アバッキオは思わず出かかる悪態ごと飲み込んだ。何故こうも女のために気を使ってやらなければならないのかと、居心地の悪さを感じていると、の頼んだサンドイッチがエスプレッソと一緒に現れる。
視線に気づいたのか、空気を変えるためか、聞いていないのに、
「私は今日は軽めで」
と皿を指して説明する女が、今日もアバッキオとプランツォを共にするのは明らかだ。今度はアバッキオがうなだれそうになった。
ひと月より前は姿を見ない日が多かったというのに、今では毎日毎日アバッキオのプランツォの邪魔をしに来る。アバッキオもついには、これ見よがしにため息を付いて女を追い返そうとするのは諦めるようになった。
世間話を期待するような女の好奇心に満ちた顔を見ると、途端に馬鹿らしい気持ちになってくるからだった。
しかしという女のことで今ひとつ不可解なのは、どうしてこうもアバッキオに関わりたがるのかということだ。
女がアバッキオを毎回追い回しては、切羽詰まったように「お話があるんです」と投げかけていたその内容は、たまに遠慮がちに訥々と語られることで、どうやらブチャラティのことだったらしいということは知れたのだが、肝心の“恩返し”とやらが分からない。
お礼がしたいと言うくせに、はアバッキオの前に現れて世間話をするだけでいつも帰っていってしまう。お礼がしたいのなら、ワインなりなんなり渡して、さっさと用事を済ませてしまえばいい。それでアバッキオも静かな一人のプランツォを送れるようになる。
だがには一向に、その気配はない。まだブチャラティのことのように、何かアバッキオに言い足りぬことでもあるのかと思った。
女の行動は、いつも遠回しだった。執拗につきまとうくせに、直接的なことは一つもない。しかし、それだけだった。そういう人間だというだけだった。
裏がないということは、話してみれば分かる。女は鬱陶しい、自分よがりでお節介焼きの、ただの一般人だ。
刑務所を出てから組織に入るまでの期間を、アバッキオは住み込みで雑用などをして働いていたが、今ではブチャラティが手配した古いアパルトメントを借りて住んでいる。お世辞にも綺麗とは言いがたい。住み込み時代よりもヒビが多い、安いアパルトメントだ。
その一室でフラヴィオの関係者の関連性を洗っていたアバッキオの元へ、ブチャラティが直々に顔を出した。仕事の話だろうと、狭い部屋に一つしかない、破れ目の目立つソファーをアバッキオは立ち上がって譲った。
しかし室内に足を踏み入れたブチャラティはそれに座らずに、戸口近くの棚に無造作に置かれた小物を手にとって、まるで珍しい物でも見つけたようにしげしげと眺めながら、
「女は一般人だ」
と、唐突にアバッキオに告げた。
ブチャラティの言う女、とは誰のことなのか、アバッキオには即座に浮かべられなかった。壁際に立ったまま、頭の中から“女”を探す。
思い浮かんだのは一人だけだった。
「何だ? その顔は」
「……調べやがったのか」
喉から這いずるような低い声が出たことに、アバッキオ自身も驚いた。だが男を睨んだ目を逸らそうとは思わなかった。
ブチャラティは変わらず落ち着き払っていた。
「お前がトロトロしてる内に、フーゴに調べさせた」
「一般人だ、知ってる。組織に巻き込むんじゃねぇ」
「文句は言うなよ、俺はてめーで調べろと言ったはずだぜ。そいつをしなかったお前の責任だ」
ブチャラティは手にしていた、使いふるして電池の切れたアバッキオの時計を棚に戻すと、
「パッショーネの疑い深さはギャング一だ。甘く見るな」
と念を入れた。もうこれで何度目になるかはわからない。それでも聞く気のないアバッキオへ、男はそろそろ堪忍袋の緒が切れる頃かもしれないと思った。
それもいい。男は自分が引き入れたアバッキオの失態で、組織に責任を取らされるのを防ぎたいのだろう。叱責を受けるのがアバッキオのみならば、ここまで周到にしただろうか。
ブチャラティはソファーの肘掛けに軽く腰を下ろして、尚も睨みつけていたアバッキオとは対照的に、薄っすらと笑みをたたえながら振り返った。
「だがこれで余計な心配は消えたな……彼女のことを知りたいか?」
アバッキオは舌打ちをして、床を蹴るようにして資料もそのままに部屋を出た。ブチャラティの静かな笑い声が窓から路地に漏れ、アバッキオの背中にも届いた。
人をおちょくって楽しむ男に、むかっ腹が立った。
気に入らないことというのは続くものだった。
カジノを経営する幹部ドナート・クローチェは、若い頃から尋問の残忍性で恐れられ、のし上がってきた男だ。手ぬるい報復は周りになめられ、信用ばかりではなく、自分の命を失う原因になると信じている。
どんな理由があろうと結果を優先し、失敗を罪だと思っている。その罪に見合った“責任”を負うのが組織の男たる証だと、ドナートは罰則の前に語っているらしい。拷問される前にそんなことを聞かされても、構成員は震えるばかりだ。中にはその話だけで失禁するものさえいるのだという。
ドナートの窪んだ目の陰鬱なラテン顔と、太く真っ黒な髪が薄暗い照明の下に浮かぶと、恐怖が助長される気持ちは分かる。組織では、余程の男らしかった。
週に数日に減った、カジノの仕事の日だった。フラヴィオに関する指令のために、ポルポかブチャラティがドナートと折り合いをつけたのかもしれないが、アバッキオがのした部下が晴れて復帰をしたことで、アバッキオのドナートに負わされた“責任”は軽くなった。だが、そう思ったのも束の間のことだった。
「おい、甘ちゃん」
と、ドナートがアバッキオを呼んだ。いつもの倉庫に男の渋い声が反響する。アバッキオの前には、他の組織へ寝返った“裏切り者”が椅子に縛られていた。
普通組織において粛清の対象になるものには、親族や友人など、男に最も近しいものを“殺し屋”として差し向ける。より精神的なダメージを与えるためだ。そうして“裏切り者”には後悔を、“殺し屋”には教訓を与える。
それが残忍性を信用されているドナートの元へ運ばれてくるということは、組織にとって手ぬるい報復では許されないほどのことを、この男はしでかしたのだろう。
男を殴りつけていたアバッキオが、ドナートの声を聞き返すように振り返ると、
「甘ちゃんだ甘ちゃん。お前のことだよ」
男の部下が吹き出して顔を背けた。アバッキオのあだ名だという。こんな場所で名誉などというものを欲しいと思ってはいなかったが、不名誉に違いなかった。
握りこぶしを作ったまま、尚もアバッキオがきょとんとしていると、それを見た男達の笑い声が倉庫を反響した。
アバッキオのやり方を、男は児戯のようだと罵った。
「次がカマ野郎だ。そう呼ばれたくなかったら、ちったぁその行儀の良い殴り方をやめたらどうだ」
ドナートはアバッキオが警官出ということを、嘲って言った。
「まさか脅しも出来ねーとは言わねーよなァ?」
どっと笑い声が起きる。アバッキオはただ黙ってそれを受けるしかなかった。
気に食わなかった。ブチャラティが気に食わないのではない。ドナートでもない。ギャングが気に食わないのだ。だがアバッキオには、ここしか居場所がない。死のうなどとは思えないのなら、ここでその時を待つしかない。
ひとしきり笑うと、睨むようなアバッキオの目だけはいいと、ドナートは褒めた。
「その目に免じて一つだけ教えてやる。とっておきだ」
アバッキオがドナートへ汗の滲んだ顔を向けると、油を刷り込ませるように両手を擦りながら、男は楽しげに言った。
「苦しめたいのなら、肉を切るより、骨を少しずつ切っていくといい。骨はいくらでもある。指先でもつま先でも、お好みの方からってやつだ。切り取った分全部そいつの口に突っ込んでやりゃあ、醜い声も聞かずに済むぜ」
血まみれになって顔を腫らしていた粛清中の“裏切り者”が、ドナートの言葉に忘れていた呻き声を上げる。その様子に、囲んでいた部下たちがまた笑い声を上げた。
拷問中舌を噛んで死なないよう、ご丁寧に猿轡までされているせいで、男は最悪の状況から逃れる道を完全に塞がれている。
パッショーネの疑い深さはギャング一だ。甘く見るな──縄から抜けようともがく男が、ギシギシと椅子を軋ませる音に、不意にブチャラティの言葉が蘇る。
次にあの血まみれの椅子に座っているのは自分かもしれない、とアバッキオはぼんやりとした予感とともに、男のくぐもった叫び声を聞いた。
ドナートの言うことは、ギャングの間では異端ではない。というのも、そういった類の冗談を滅多に口にしないブチャラティでさえ、入団したてのアバッキオへ同様のことを言ったからだ。
ミスタが入ったことでいつの間にか通例化されている、チェーナでの説教が始まりだった。
「ネアポリスで一番多いものはなんだと思う?」
と、魚介のリゾットを前にブチャラティが言った。
教会か? ならば神父か? ネアポリスなら観光客? それともゴミの数か? ──アバッキオが黙って思考を巡らしていると、何拍か置いてブチャラティが言った。
「行方不明者さ」
隣に座っていたフーゴが、グラスに赤ワインを注いでブチャラティへ差し出した。男は律儀に「グラッツェ」と礼を言って受け取った。
澄んだ赤を喉に一口流しこんでから、
「死体を消すのに邪魔なのは骨だ」
と男は続ける。
「生きたまま酸漬けにするか、豚に食わせるのが手っ取り早い。一晩で綺麗さっぱり消えちまうからな……ビルの壁に埋めちまうより足がつかない」
「そいつは面白れぇな」
新入りをからかっているのだと、アバッキオが微かに嘲笑を浮かべたのを見て、ブチャラティは「はったりじゃあねーぜ」と表情を変えずに言った。
「これだけ人がいるんです。誰がいなくなろうが調べようがない」
フーゴの言葉に、アバッキオははっと息を呑んだ。男が言うよりも、歳若いフーゴが口にする方が、余程真実味があったのだ。
また、馬鹿馬鹿しいことも当然のように行われた。
アバッキオが入団して真っ先に叩きこまれたのは、恐喝の仕方だったのだ。
「お前の歩き方は良い子すぎる」
と、ブチャラティに唐突に言われたのが原因だった。
どうにも腑に落ちずに無意識にフーゴに目を遣ると、「あいつはあれでいいんだ」とブチャラティが宥めた。
「人には向き不向きがある。あいつはあれで上手くやっているからいいんだ。それに……」
男が言葉を切ったので、アバッキオは振り向いた。
「油断するだろ」
「ああ……」
その一言でアバッキオは納得がいった。フーゴのような少年を前にすれば、組織に関わってしまった人間でも、穏便に事が運ぶような気持ちになる。窮地に陥っていても、騙して逃げ切ることも出来るかもしれないという気を抱かせる。
フーゴはじろじろと送られる二人の視線に、
「どうしたんです?」
と怪訝な顔を隠さなかった。
「いや、新入りに脅し方を教えてやってくれ」
「ぼくが?」とフーゴは意外そうに目を見張った。
「言われれば断りませんが……ぼくはあまり得意ではありませんよ?」
「俺は少し厄介な用があるからな……ならナランチャにやらせるか?」
「わかりました、やりますよ」
話は一方的に進んでいくが、自分が教えられるということを承諾したわけではない。それも恐喝の仕方だ。家庭でも学校でも断固として反抗し、恥じ入るべき行為と教えられてきたことを、わざわざ習うなどと思うと、阿呆らしくてとてもじゃないがやっていられない。
しかしそう嘲ったアバッキオは、一時間後には港の暗い倉庫でセメントに足を突っ込まれていた。
アバッキオより5つも年下だというのに、フーゴは脅しにも暴力的手段にも躊躇いがなく、容赦がない。世間一般のその歳の少年としては決定的なものが欠落していたが、ギャングとしては順当な成長をしているのは確実だった。
得意じゃねぇだと? とんだ嘘付き野郎だ──
少年の容姿と物腰にまんまと騙されたことに舌打ちをすると、小さな音でも天井の高い倉庫には響き渡った。
フーゴが片足に重心をかけながら、だらりとした格好で言った。
「困るんですよ……矢の洗礼を受けて入団した以上、従わなければ不要な人材として殺さなければならない。ひとつの死体を片付けるのに、どれだけの金が必要になると思っているんです? 勝手に入ったお前に、ぼくなら1リラだって出したくないね」
面倒極まりない、といった様子だった。しかし見下げる口調に苛立つ前に、慣れない単語にアバッキオの意識は引っ張られた。
「矢? あの噂のか」
フーゴは不可解なものを見るようにアバッキオに眉を寄せた。
「お前、ライターを再点火したんじゃあないのか?」
「したが……それと矢が何の関係がある」
アバッキオがとぼけているわけではないと知ると、埒が明かないと見たフーゴが「それじゃあ質問を変えますが」とため息を零した。
「あなたは自分から組織に入ることを望んだと聞きましたが……」
「オメーとは違う。ここのやり方にすぐに慣れろってのは無理がある」
これまでの立ち振舞から、フーゴは元から組織にいる人間のように見えた。ギャングを父親に持って育ち、あるいは非行を重ねてきた上で早くから入団した、なるべくしてなった少年なのだとアバッキオは思っていた。
しかし言葉の端から齟齬を感じたらしいフーゴは、些か考える素振りを見せた後、
「そうだな……ぼくも同じだったかもしれない」
と言った。
「でも、あなたのように抵抗はしなかった。何故なら、自分で選んだ道だからだ」
あなたと同じように、と付け足して、フーゴはアバッキオをまっすぐ見つめた。思いの外、真面目な瞳がアバッキオを見つめていた。吸い寄せられるように、視線が離れなくなる。
「ぼくには理解できない……何故こうも抵抗するんですか? 何が不満なんです?」
目線が、アバッキオの四肢に落ちた。埃の舞う薄暗い倉庫でも、セメントから伸びる足に捲りあげられたアルマーニのスーツはピカピカに光っていて、磨かれたベーメルの革靴を履いて長身のアバッキオが道を歩けば、女も男も思わず振り向くだろう。
不満なんて、そんなものを数えたらきりがない。だがどうしてこうも苛立つのか、それが自分自身でもわからないのだ。ただ何もかにもが気に食わないと思う、その事実だけが胸に淀んでゆっくりと渦を巻いている。それをどうすればいいのか考えている内に、また苛立ちだけが募っていく。コントロールの出来ない衝動だった。
黙ってフーゴを見つめ返していたアバッキオに、少年の視線がすっと戻ってきた。
「正直言って、ぼくはまだ信用出来ない」
ハキハキと告げられたその言葉は、とても心地がよかった。疑心を隠さない少年の言葉は、アバッキオの不快を募らせもしたが、安堵もさせた。
相棒はアバッキオを信用したばかりに死んだのだ。ギャングに落ちてまで、そんなものを必要だとは思わなかった。
ブチャラティが恐らく一番信頼をおいている部下であるはずのフーゴは、警官だったアバッキオを信用してはいない。数ヶ月が過ぎた今でもそうだろう。同時に、この少年にはやはり素質があるのだとアバッキオは思った。
フーゴはただ馬鹿正直に従うだけの配下ではない。常に組織の利益を図っている。一つ一つの行為が上司であるブチャラティに還元されるかどうかを、判断して動いているのだ。
ブチャラティは抜け目がない。ギャングとして生きていける人間を分かっている。それを部下にして、自分の手駒として働かせる術を心得ている。
それなら俺はどうなんだ? 奴にとって使える人間だってことなのか?──
男が何故アバッキオを入団させたのか、その一つだけが、アバッキオには未だに分からなかった。